生きたいように

NIKITAは発達障害。考えるために色んなことを書き出したけど脱思考がいいなあ。そんな感じ。

生きたいように生きる 2018/11/18 20:59:18

先日誕生日を迎えた。

年齢的に、苦しい人生を生きてきた人が、無理できなくなってくる年代である。

 

親友と思っていた人の自殺した年齢を少し前に超えたのだが、その年齢をただぼんやりと迎える訳に行かなかった。

その頃、わたしはレイプ未遂の被害でPTSDの状態になって無茶苦茶な状態だった。「狂っていた」と言って過言ではないと思う。

PTSDはその1つでもなければ、周囲に理解されるものでもない。セカンドレイプなんかどれほど受ける羽目になったか。

PTSDは医療の対象にはなりにくく、警察が何かしらしてくれるには未遂ではダメだし、わたしの状況では立証がかなり困難であった。

 

英語であればすべて「rape」なのに、どうして日本ではたくさんのランク付けをするのか。未遂をなんというか忘れたが、わたしはハッキリ拒絶していたのに無理に結構なことをされた。外国の友人達からは警察に通報しろ、大丈夫か、なんというア○ホール野郎だ、といった反応が帰ってきて、今も思い出すと慰められる。

当然トラウマケアはあるんだろうと言われたが、「ない」と言うのがほとんど正解である。大金がなければ被害者、サバイバーから先へ進む助けも得られないのだ。

 

ともあれ、わたしは生き残ったのだ。親友の歳を超えた……

特に義理立てとか言うことはないが、この時期は平静ではいられない。季節的に鬱状態になる頃でもあるし、自分の誕生日をまともに祝われたこともごく最近までなかったし、思い詰めたりが多いのである。

 

そして2年前は自分が人間であることに気づいた。実感できるようになったのだ。それまで自分は無機物の道具とかゴミクズだとしか認識しようがなかった。何十年もそうだったので今も負担の強い状態で参って来るとその感覚に戻る。それを口にするとどうも人間というのは凄まじい嫌悪感を抱くらしく、かなり相手や状況を選んでも結局無茶苦茶に叱責やら食らう。なぜまだ何も話していないのに袋叩きにあうのかわたしは理解できないのだが。聞きたくないのであればそう言うべきではないか。わたしが悪いとかなんとか屁理屈でさらに痛めつけて何が面白いのか。

 

昨年は誕生日の辺りで対人攻撃にあって精神的にノックアウトされて入院していたが、入院中に、ずっと必要だったことを理解した。わたしは他人に向けていつも言い訳やら考えて行動していた。そのように育てられたからであるが、普通、他人のことはまさに他人事であって、かなりのことでもどうだっていいのである。他人の顔色を伺わねばならなかったのは、わたしのいる状況、環境がおかしいのだ。わたしには「境界」が全く育っていなかった。自分と他者は別の人生を生きていて、ハッキリ言えば特にはわたしがどうでも知っったことではないし、逆もそうなのだ。

 

だからいちいち言い訳なんか必要なかった。それに気づけたのはたった1人だけわたしをなにも否定せず、甘やかしてくれ、優しくしてくれ続けたからであった。彼女がわたしをさらに人間にしてくれたのである。

 

その気付きがわたしをまた大きく変えて行くが、少しそれどころではない状況になっていた。またもPTSDである。

 

だいぶ自分で対処を探ることができはしたし、良くも悪くも放置されているので試行錯誤が邪魔なくできていた。

 

9月からまたブチ壊され、一体自分は何がどうしてこうなるのかいよいよ参っていた。せっかく見つけた方法で順調に体力も付きだしていたが、寝込んで元より悪化した(体力的には)。

 

今月まで降下を続けてきたが、わたしは主体的に自分の人生を生きることにした。自分のために自分の人生を自分が主人公として生きることは、かなりの逆風があるがこれまで他人のことばかり考えて機嫌を取って自分のことを優先するどころではなかった。自分のためにそうしてきたのだが、「受け身」であって、わたしは何も選んでいない。来たことに対処するので大わらわで時間がすぎる。

 

そうして死んでいった人達ばかりであった。あるいはわたしが捨てられ見限られる。とんでもない形で信頼を裏切られる。毎回自分を何と言うバカな世間知らずのお人好しかと嫌悪してきた。どうして学習できないのか。

 

主体的に生きてないからだ。わたしはわたしの人生なんか持っていなかった。なにも持っていなかった。重い障害で助けてもらえないと生きていけないが、それはわたしがなにか選んではならないという意味ではないはずだ。したいことなんかなかった。自分にはそんな権利はないからであった。感情も死んでいた。普通のまともな生活も知らないし、全く想像できない。去年数人の「普通」に暮らす人達と初めてガッツリした関わりを持てるまでは、本当に人間についてもなにも知らなかった。

 

その人達とも結局うまく行かなかった。行政から認められてやってくる支援者ともまともな関係にならない。

 

訪問看護師とも耐えられなくなり、初めて「自分が嫌だし自分の何かを良くするのにトータルで助けにならない、むしろ具合悪くなる」という理由から辞めてもらった。そんな大それた決断を自分でして自分で結果を引き受ける事にしたのは、人生で初めてだった。

 

直後、わたしは心身の調子を更にくずした。そして一体何だったのかと思った。彼女とも悪いスタートではなかったのに。

 

わたしだけの理由ではないはずだが、奇妙な事に気づいた。

 

休めない休めないといって助けてくれる人や方法を考えて来たが、なにも休みたきゃ勝手に休んで「誰がなんと言おうと」寝てたって問題なんかないじゃないか。

 

わたしは幼少時から常に恐怖感に駆られている。万全の備えをしようとしてきたのだ。できる訳がない。

 

必ず不安や「敵」がなければ生きられなくなっていたのだ。無理に自分を動かすために、生き延びるために不快なこと不本意なことも耐えて遂行するように。それには叩き潰す対象が必要だった。「仮想敵国」というのを作り上げるのと完全に同じことだ。

 

敵などいなかったのだ。いるかも知れないがいつもいつも相手を疑っていたらその相手を敵に育ててしまう。不安材料を探しすぎるので、解決しなければならない懸案事項を自分で生み出してしまう。それで休まる訳はない。

 

敵も不安材料も、なにもわざわざ見つけ出して対処しなくても大丈夫だ。これまでメチャクチャな人生・生活で今でもなにもできやしないが、死んでないじゃないか。

あら捜ししてわたしを罰する人間は、まあ、親ほど凄いのはさすがにいないし、親の方からは安全圏にいるではないか……。

 

もう何かを自分のせいでどうなったとか、自分が悪いからどうだとか、そんな思考をやめることにした(因果応報とか真面目に信じてた自分が信じられない)。そして、自分の人生の邪魔をする人や事柄に時間やエネルギーなんか割いてる余裕なんかないのだ。そんなことして遊んでやる時間なんかわたしには残されていない。そもそもそんな義理もない。

 

わたしは誕生日に、「生きたいように生きる1日目こんにちは」と挨拶し宣言した。

 

生き方を変えることが簡単ではない事実には、早速ブチ当たっている。

 

わたしが悪い訳でもないし、というかもう誰が悪いとかどうでもいいので、先に進むためにはどうしたらいいかを考えている。3日2晩泣き明かしたり食べられずにいる。やっとトラウマを思い切り刺激されたからだというところまでたどり着いた。

 

さて、どうするのがわたしにとって、楽しい結果になりそうだろうか。

フラストレーション 2018/10/25

イライラがおさまらないので書いてみる。

 

昨日は朝から起きていた。そのまま今、2018/10/25  6:22 まで眠れていない。

 

寝ようとできないのである。発達障害者だからだとか、強いトラウマ持ちだからだとか、そういう理由も正しいのだろう。

 

わたしはずっと神経を尖らせたままの状態で数十年生きてきた。気を抜いた経験が全くない訳ではないが、思わず日記だのブログやSNSで吹聴したり、主治医に「どうしたんでしょうか」と相談してしまったり、生涯で何度あったか回数が数えられるような非常に珍しい現象なのだ。

 

条件は「そこそこ以上の親しい関係にある人といる間」がほとんどだ。また入院中もまあまあ適用範囲である。自分1人でないことで、全方位に緊張を巡らせておく必要がないと判断するらしい。例えば突然の来訪者に必ず自分が対応せねばならないとか、何か生活必需品が欠けていないか気づくとか(わたしはそういうことがわからない。生活に必須の物事をあまり知らないのである)、時間が来たらその時刻に相応しい行動を取るとか(前項に同じ)、自分1人では解決できないことが突如発生するとか(どうしても頻繁に起きる)、そういったことをすべては意識し続けなくていい。

 

また、わたしは、相当意識しようと頑張っても、「飲食、睡眠、休みを入れる、お手洗いに行く、歯を磨く」など、普通は生きるのに最優先事項に挙がるであろうことだと思うが、これらをすぐに忘れる。わたしにとってはこれらの優先度は「最低」なのだ。そんなことより今困っているトラブルを解決すること、何か起きたら即時対応できるように備えていること、といったことが最優先で、当然とても緊張度が高いままとなる。喉がかわいたなんてなかなか気づけないし、食べることはとても労力が必要で好きではない。食事も睡眠も不要な身体になりたい、と昔から思っているが、ある時「食事と睡眠がなかったら死んじゃうじゃないか!」と仰天された。その反応を見てわたしが驚愕して、20年くらい経った今でも思い出すくらいだ。そうか、「それでも死なない」という意味で言っているのにこんなリアクションをされるということは、よほどそれらは「普通は大事で、生きるということから切り離すなど想像できないこと」なのだろうと考えるしかない……。わたしはとりあえず人がいれば眠りも食べもできるが、自分からできる訳でもない。「そろそろお腹すかない?」「もう寝ようか」などと言われて、抵抗なくできる(ことが多い)という塩梅である。

 

こういったことは、通常の生活ができる人には理解しがたいらしい。優先順位が普通とおそらく反対なのだろう、という説明は昨年思いついたのだが、「人といれば眠れるしうなされにくいが1人では寝ようとすることも忘れるし、寝つけないし眠ることに非常に抵抗してしまう」といった話を人にしたところかなり驚かれたようだった。

その人から「それは既に1人で暮らす状態じゃないな」と言われた。今度はわたしが驚く番で、今でもそんな即答ができるのが何故なのか不明である(うろ覚えだが「1人では眠ることが非常に困難」という説明をする前だったと思う。飲食眠るなどの優先度が最低なのだ思うとは言えたが)。とにかくそれは大変正しい見解で、わたしの苦労は「1人で生活する能力もなく、そういう病状でもない」のに独り暮らしを余儀なくされていることに大きく由来する。

 

【ちょっと言い訳】眠すぎて言葉遣いが堅苦しいが堪忍願いたい。わたしは頭が働かないと小難しい言葉しか出なくなるのである……。(じゃあ寝ろとか言わないように。それができない話をしているのだ)

 

なんて言っていたらやっと本当に起きていられなさそうな睡魔がやってきた。

 

続きを書くかも知れない。では……

 

2018/10/25  6:59:44 おやすみなさい……

 

スルーする力 2018/10/23

寝るつもりだったがちょっと整理しておかないと具合悪さがすこぶる悪化してしまう。

Twitterであるが、議論のつもりで攻撃して来る人に出くわした。

私はこれまで、そういう人にもきちんと返事をすることにしてきた。私が誠実だからとか言うよりも、話をできるだけ出来るようになりたかったのである。また、私は色んな物事の加減がわからない。人とまともに関わった経験がなかったのである。

話をしてみなければ相手がどういうことを考えたり言ったりしたいのかはわからない。どういう人なのかも、話もろくにしないではわからない。ほんの僅かな言葉から相手を決めつけることは非常に危険である。

だが私はあまり判断材料を知らないできた。人を見る目は全くない。即断は一般的にもいいことではないだろうが、「すぐにわかる危険な印」というものがある。雑に言えば「『こういう人は危ないから逃げるべきだ』という常識レベルのサインがわからない」状態で何十年も生きてきたのである。

そのため何度も危険な目にあってしまった。PTSDにもなっている。

2年前、人に手伝ってもらって、自分がどういう状態で生きているのか知ることができた。その頃までの人とのやり取りがいくらでもログとして残っているが、自分は日本語がわからないのかと疑ってしまうレベルで会話ができていない。また言っている内容や表現方法が目を覆いたくなるような悲惨さである。何が言いたいのか全くわからない、意味がわからない。よくこの状態の私に付き合って貰えたものである。

その指導でブログを書いていたが、それに限らず文章はかなり気をつけて書くようになった。「初見の人が読んでも理解できる」ことを念頭において書くことが第一の原則である。他にも注意点はあるが割愛。ともあれ書く時、言葉にはとても慎重になった。

並行してその人にテキストで会話の仕方をガッツリ直された。その人が何をどうしたのかわからないのだが、私のものの見方考え方などは変わってしまったのである。

その時期を過ぎてから不思議なことに、テキストで人が発言した時の理解度が驚愕されるほど上がっていた。口頭でもその技術は上がったのだが、ネット上で見た発言の意味や、何故そう言うのかなどが瞬時にほぼ間違えずにわかるようになっていた。

当然断言できる程度のことに限られるのだが、それでも人からは驚かれるというか仰天されることもある。

が、体調が酷く悪化してきた最近、動じずに表層にとらわれないで読む技術を駆使する体力がなくなりつつある。元々打たれ弱いのだが、攻撃的な言葉にはとてもダメージを受ける。

冒頭の話だが、最近は自分で体調のことをわかっているので、議論になりそうなことを我慢するようにしていた。自分から発信することは「絡まれやすい」こともけっこうある。だが、アカウントの目的がアニメ・漫画のファンとしてのものなので、あまり「うるさい」人や「心ないことをいきなり言う」人にはそうそう届かなかったのである。

油断したと言うよりも衰弱や不眠で判断力などが著しく落ちているのだろうか。今もそうなのでわからない。ともあれ、私の言った返事がかなり気に食わなかったらしい。

人にはそれぞれ事情があり、何も知らないうちから簡単に責めるべきではない、という趣旨のことを言った。が、相手を非難したわけではない。その人も知らないだけであろうから、まあまあそう言わずに、くらいの気持ちから言った、今思えばお節介であった。

相手が突然えらく攻撃的になったのだが、全然的を射ていないのだった。ああこれはめんどくさい人だと思い、ミュートした。正確にはめんどくさい状態に陥っただけであるが、私に相手を続ける体力はない。その義理もない。理解しようとしない人にわからせるのは非常に大変で、あまり成功しない。

私は正しいが、その人も詳しい事情を知らない立場にいるからには、また正しいのである。ただ、駄々っ子のように何度も何度も「じゃあこれもこういうことになりますね!?」と言ってくるのは、自分が正しく私が大きく誤っていることをわからせたいというだけであり、もはやきちんと向き合って話せる状態ではない。私を非難して、恥をかかせ、屈服させたいのである。そんな子どもの状態の人とかかずらう必要はない。むしろ私の健康が第一である。(こうして時間も労力も使っているが、相手をするよりも建設的であろう)

幼稚な口論を議論と呼ぶ習慣にはうんざりしている。私自身が相手を叩き潰すようなやり方をしてきたから、余計に気分が悪い。もちろん私は相手を直接的に否定する言い方をしなかったし、否定しているつもりがなかった。たちが悪い。

相手をわざわざ「叩き潰してやる」なんて悪趣味であると同時に、そんなに自分が正しいと証明して回らねば気がすまないのか。その場の喧嘩には勝つかも知れないが、いちいち人目なんか気にしている段階でバカバカしい。自分の危険だとか現実的に損失がある訳でもあるまいし。どうでもいいことだし、どうでもいい人なのだ。その人に私の正しさを思い知らせたところで何になるだろうか。

もっと私にはエネルギーを使うべき事が本当にたくさんある。どれも楽なものでもない。

生きて行くにはスルースキルが酷く重要なのだ。
やっと少しわかった。

 

人間と私のこと 2018/10/22

今、自分がとても嫌いだ。

とても眠い。これだけ眠ければ普通は寝るだろうが、私は眠いと不安感が強くなるため抗おうとしてしまう。

およそ1か月間、咳を伴う風邪様の病気が治らない。衰弱は凄まじく、Twitterがほとんどできない。

私は書くことに異常なほど執着があり、依存してもいる。SNSが唯一外界と繋がる手段であるからそこにも依存している。人間の三大欲求などというものが言われるが、「社交したい、社会(コミュニティ、共同体)に属したい」というのも凄まじく強烈だそうだ。
ほとんど寝たきりに戻ってしまった今、Twitterで何かしら書いたり会話をするだけの体力思考力がないのは苦痛である。読解力も表現力も自分が先日までできていたレベルに達しないどころではない。書こうとするだけで頭痛や吐き気がしたり、何も思いつかなかったり……

眠気は私にとって危険を感じるようなものでしかない。大嫌いで不快でしかない。
今は私からわずかにできることを奪うものに感じてしまう。眠らなければもっとできなくなる、という理屈のために1か月かなり我慢してきたのに、この1週間で最悪に悪化した。

病気で体力が急速に奪われることは酷い効果を生む。私は6年前に初めてこれを経験し、そのまま一切改善していない。いや、この1年くらいでちょっと変化はあった。さらに今夏、サプリメントの服用でかなり頭が回転するように戻った。
それらだって大変な努力や忍耐のあとでのことなのだ。今何も言いたいことを表現できなくてとても悔しい。

詳しいことはまた書くことになるが、PTSDの一環で、私の自己否定感は強烈である。

参っていると自分を殺したいくらい嫌いになる。何もかもが自分を責め立てる材料になる。そして他人も世界も、何も信じられないし信じてはいけない感覚になる。危険だからである。自分を守ったり親切を貫いてくれたり、見捨てない、攻撃しないものなどない。私は無価値で無能で無力で、人間扱いどころか生き物だとさえ思われてはいないし、また実際にそんなものだ、という刷り込みがよみがえる。

何もかも私が悪いというのが当たり前でしかない。「生きてるなんて申し訳ない」といった感覚になる。申し訳ないというか、そんなことは本来許されないのに図々しいにも程があるというか。

私は誰かと自分を対等だと感じたことはない。必ず相手が上である。上下関係だけというわけではないが、とにかく施しを受けるとか、哀れんで頂いて親切を受けるとか、根底にはそういう意識がどうしてもある。このことを告白することもどうも強烈に相手の怒りなど不快感を誘発するようである。

人様の機嫌を損ねることは私の死や凄まじい恐怖体験をさせられることと同義である。理由など知らされることはないが、そんな権利が私にないからに決まっている。不興を買った上に厚かましい。

殺されても文句も言えないような大罪である。何故私はこの数年内にあった被害を完遂させなかったのか、逃げ出したり撃退したのか、私など人間様の食い物にされて当然、それくらいの役にしか立たないくせに何様のつもりなのか。人間様に逆らうだなんて。

強さの差はあれど、私の人生はそういう経験の連続である。どうやら他の人達はそうでもないらしいので、わからないのも仕方あるまい。私だってまともな生活や世界は経験がないし、人間を信じて酷い目にあったことはたくさんあるが、信じて良かったというような経験はしたと言える自信がない。だから他人の人生経験をどれだけ聞いても遠い世界の話なのだ。

自分から自分の酷い経験や今も続く境遇について自分から話すことはそれほどはない。言ってもあまり詳しいことは言わない。痛い目に遭うからである。そしてわかってもらえたらラッキーだなくらいには思っている。

そういう意識でいられる余裕も当然ない。そもそも発言さえずいぶんできないのだから。

まとまらないし、推敲する元気もない。だが、この1か月で相当鬱憤が溜まっているので、まあこれでもいいや。

きっと、伝えたい人に伝えたいことは伝わらない。自分でも何が言いたいかわかる文章ではないとわかっているが、今はこんなものが限界だ。悔しい。

ひたすら自分を責めている。
何をしてもやはり誰かが気に入ることはあり得ないのだな。私がうんと無理して相手に合わせて自分など消してしまった状態でなければ……。

本音など言うものではない……。気など許すものでもない。私にそんな権利があるなんて思い違いもいいところだったのだ。

私が間違えたのだ。どう言っても何故か私が責められるので、相手には見られないここに置いておく……。

とても悲しい。人間とは友達になれないのだなあ……。

睡眠薬と体調不良 2018/10/12

20年飲み続けている眠剤(睡眠薬)を、6月頃からは原則飲まなくなった。

どうせ良いことはないからである。私の「不眠」は「睡眠恐怖症」とでも言ったほうが良いかも知れない。元々寝付きは悪いが、自分でも必死に寝付くのに抵抗してしまう。コレでは定時に眠剤服用などとてもできたものではない。

 

6月だと思うのだが、突然睡眠に抵抗のテの字もなくなった。

医学的には「交感神経がギュンギュン上がって、上がりきって副交感神経に切り替わって、安堵して眠れる」というような説明であった(書き出すとあまり医学的でもないな)。

PTSDやトラウマ持ちは脳の前頭葉部分が常に興奮状態であることが観測されている。私もそうであろう、常時気を抜けるコトがないからだ。

また交感神経も副交感神経も上がってしまったままであると言う。こちらもそうであろうとしか思えない。いずれの状態の特徴も両方常に出ているからだ。

 

6月に何がどうしたということはまとめにくいのでまたいずれ記事にしようと思う。普通交感神経と副交感神経は交代で優位になるのだが、私は経験したことがどうもなかったようだ。

「急に体中の力が抜けて入らなくなる。普段なら気持ち悪いだけの眠気だが、気づいたら寝落ちしていたり、うとうとしても気持ちいい」

この訴えを私は心配から主治医にしたのである。

 

眠剤は処方されているがほとんど飲まない。最初に不要になってしばらくは本当に要らなかった。が、急によくなる訳でもないらしく、どうしても必要になった。飲んで翌日のだるいこと。薬がどれほど身体に負担なのか何度目かの再認識である。

 

最近肺炎の疑いが出るくらいの体調である。眠れたものではないので仕方なく服用することが多少ある。弱っていると仕方がないのだな。特にメンタルへの影響が大きいため、回復するまで時折使わざるを得ないようである。

 

なお、医療機関では肺炎ではないということだったが、今日やはりマイコプラズマ肺炎の経験がある人から「普通の検査では検出されないので大変だった」と言われた。当然?私も事前に検索してそれを危惧していた。

 

当たった医師はどうにも権威的というか乱暴というかこちらの話を聞く人ではなかった。主治医からの指示をもらっておかなければレントゲンも撮ってくれなかったと思われる。

 

今回はとにかく泣きっ面に蜂が何匹もたかって参った。

 

ともかく体力、身体づくりをしたい……。今の状態(病気ぽいの)どうしたら治るんだろう……。

肺炎かも知れない 2018/10/08

起きたらメッセージが来ていた。私が、もしかして「マイコプラズマ肺炎」に罹っているのではないか、ということだった。

 

風邪かと思える症状だが、2週間咳がおさまらない。微熱もある。消耗する一方である。そんなであれば十分肺炎を疑っていいと言われた。その人の家族がそうだったそうだ。内科でマイコプラズマ肺炎ではないかと思うと申し出、診察してもらって、マイコプラズマ肺炎に効く抗生剤をもらうのだそうだ。

 

検索したら確かに諸症状が酷似している。体力ある成人だと自然治癒するが、私は明らかにない。咳は非常に体力を奪うので放っておいたら恐らく悪化していく。専用の抗生剤が要るならさっさと欲しい。体力低下が既に洒落になっていないのである。寝ていても治らない、栄養をとりたくてもそれも今なかなかうまく行かない状況である。

 

医者にかかるのに私はかなり面倒な壁がある。保険証を持たない身分であり、医療機関にかかるためには自力ではできない手続きがある。そして、私は医者との会話が壊滅的にできない。付き添って会話してもらう人が必須なのである。

事情は今説明する体力がないからおいおい話すかも知れない。

 

しかし、訪問看護師にできれば気づいて欲しいなとはさすがに思う。私の体力のなさはよく承知しているし、彼女から「咳があるから消耗するのだ」と言われたのだが、なにかおかしいと思わないのだろうか……。

まあ彼女には手続きや付き添いを頼めるだろうから、それでとりあえず満足としておく。他にできる人はいないので実に助かるのは事実である。

(今日は休日なのでFAXだけすごくがんばってしておいた)

 

ともあれ、色んな人たちがネットを通して心配してくれたり、風邪の想定だが助言をくれたり、求めた相手は何とか協力できるようがんばってくれたり、自ら「マイコプラズマではないか」と言って来てくれたり(おかげで次回以降考慮に入れられる。何回でもかかる病気だそうだ)、幸福を感じるのであった。成長したものである。

テキトー書き 2018/10/07

文章の練習なんて気合いを入れて更新再開したものだから、書きかけては下書き保存、書きかけては保存せずに破棄、を数回繰り返した。意味がないので流し書きをしよう。

 

成り行きで何人かに文字での会話について指導めいたことをしてきた。

昨年7月頃から突然、SNSで要領を得ない物言いをしている人の話が読解できるようになりだしたのだ。そこで「こういうことが言いたいのか」と確認していたのだが、どうも私が発言を見てから読解し、平易で一般的な表現に書き換えて示すまで、ずいぶん速いらしいのである。

あるコミュニティで、私には全然追いつけないような教養と経験が豊富な議論を楽しんでいる人達とも交流があったが、上記のことを指摘された。またその中の、私よりも読解し要点にまとめ提示し話を進めまとめる力が遥かに高い人から「理解力」に驚愕された。

 

当時は私こそ驚いた。少し前までは私がまるでコミュニケーションできない側だったからだ。友人に根気よく指導してもらって最低限言うことがおかしくなくなったばかりだった。

その指導時、ブログも書いていた。添削らしい添削はされていないが、良かった時はスターをつけてくれ、話のついでにちょっと言及がある、それから友人のTwitterで時々シェアされるようになった。

 

そのブログで「初めて読む人が1発で理解できるように」心がけて書いていたため、言葉選びや語順の訂正などなど、徹頭徹尾どう書けば伝わるかを意識し続けたのである。

それをやっていたことしか、読解力が急上昇して、わかりやすく書き直して確認できるようになった理由は思いつけない。(友人の直接指導でも「文字での会話力」は鍛えられた)

 

やっと通じる話ができるようになった程度で友人の真似をするのはかなりどうかと思ったが、実験台になることを承知してもらって何人かに試させてもらった。

 

ここまで1人も指導が不要になるまで続いた人はいない。まだ指導できる段階ではないことが証明された。

 

単純に知識や技術の未熟さは当然、私に体力がなさすぎることが致命的に思える。体力がなければこちらに余裕がない。会話がなかなか成立しない相手とやり取りするのは、半端なエネルギーでは足りないのだ。ただでさえ、話が通じないことはストレスフルなものである。

そして、言葉には必ず使い手の心の状態が現れる。コミュニケーションに助けがいるほど(この場合、私の指導を受ける気になるような状態)トラブルがあるような人では、何らかの大きな問題を心に持っていることが多い。そういう相手と向き合うことになるので、こちらが基本的には健康である必要がある。

 

私は自分が相当にトラブル続きの環境で暮らしている。こういうことをすべきでないのは当然だ。

成り行き上と言ったが私の都合である。私が会話しにくいからどうしようかと思うことから始まるのだ。

あまりいいこととは思えない。相手を変えようとすることに意識が行っているからだ。

 

私は2、3年前まで、人との健全な関係を経験した事がない。支配的になっているのだな、と痛感する。自分の都合よく人を変えようとしてしまうことがまともな発想ではないなと思うのだ。それは自分と人との区別ができていないではないか。相手は私ではないのだから、私の都合のいいようでないから口を出すなんて、実はとんでもないことだと思う。

 

私がそういう人達に囲まれて生活しているので、同じことをとてもろくな行動とは言えない。

 

親切心や、ましてや「優しさ」といったもので動いているのではないのだと明確に気づいた。会話ができないから確認して話しているだけだと思っていたが、それなら教師ぶる必要はない。いくら過去の自分と似ていてなんとかしたいと思っても、今の私では責任が取れないではないか。

 

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徹夜明けなのであとで見たらさくっと消したくなるような記事になってると思います……すっごく眠いです。