生きたいように

NIKITAは発達障害。考えるために色んなことを書き出したけど脱思考がいいなあ。そんな感じ。

投票でキックオフ

ブログどころではない状況、状態に陥ってだいぶ経過してしまった。

半年の間、私は同じ課題で苦しんでいる。

 

進捗はあった。

現在私のサポートを買って出ている人達はほとんど完全に自らの意思で来てくれ、自分で考えて行動してくれる。

こういった流れになり始めたのは、先日の参院選からだと思う。

私は2012年、初めて単回性の対人トラウマを受け、PTSD状態になった。その後連続してとんでもない目にあったため悪化は酷かった。

まず直後から寝込み、食べられなくなり、いきなり1か月しないうちに10kgだったか体重が落ちてしまい、半年を待たずして30kgは失った。ひょろひょろになってしまった。

それまでできていたことなど現在では記憶にもない。私は破壊された。生きながら殺された。

 

7年半経つが、地獄でしかない。色々あったものの、結局瀕死状態に陥るのだ。

どんなに理解しようと頑張ってくれても、私でない人は私でない以上、私の苦痛はわからない。それは当たり前なのだが、やっときちんと認めることが可能になった。

前記事は1月に書いているが、この頃から助けに加わってくれている友人には大いに世話になっている。私が今自分の主体性を奪還しつつあるのは彼に負うところが一番大きい。

 

この7〜8年は投票どころではなかった。私はテレビなども地デジ化の折に失ったし、情報といえば選挙の直前に配られる公報しかなかったが、読むこともできなくなっている。あんな字も小さくフォーマットも揃っていない読みづらい媒体では、障害者、病人、年寄りが読めるものではない。今回の参院選からやっと公式サイトができたが、外国から見ればとんでもなく遅れている。

私はTwitterだけは続けていた(SNSも続ける体力がないのだ)。ある程度は情報に触れることもできていたが、今月16日に見たものに怒りを覚えた。

マトモに働く頭と身体を持つ各位は知っていたことであるが、政権与党が改憲を明確に掲げていたことだった。以前TVから動画を作りシェアしてくれたツイートで、彼らが本気で国民の基本的人権を奪おうと考えていることは知っていた。それと改憲が繋がった。

私は一般的に見ればなんの生産性もない障害者である。現在の日本では私のようなものは死ぬことで貢献しろと考えられていると言って差し支えない。憲法を改変されたら真っ先に殺されることであろう。

止めなければと思った。投票が義務とかそんなことは忘れていた。忘れている人が多そうではあるが、私は義務以外の行動を取った記憶がもうないのだ。大昔には多少あった時期もあるが、過去のことである。私が止めたい、止めようと思った。

 

自分の内側からこみ上げた思いに動かされたということだが、私からは主体性など奪い尽くされて長く経っていた。公的支援によってすっかり虐げられ慣れてしまったのである。元々親から強烈な支配を受けていたので容易く組み敷かれてしまっていた。弱っている人間を脅して黙らせ洗脳するなど難しいことではないのだ。技術的には私でも可能である。人を破壊することはそんなに難しくはない。自分がしていることに自覚があり、良識や良心が欠けていなければ。

私も自分の能力を悪用して生きていることに長く気づけなかった。自分が苦しむことにしかならないというのに、自分のサバイバルのために誤用していたのである。どれほどの人を傷つけたのだろう。

私は間違いなく「悪意の人間」だった。何でも悪く受け取り、自己否定感のために激しく偏った認知で生きていた。人間はすべて敵だったし、世界に安全なところなど一切なく、疑心暗鬼と恐怖心が自分を守るためのアイテムだった。

この生き方には主体性など欠片もない。受け身で、起きたことにその場しのぎで対処するので精一杯なのだ。私には何がしたいとか何が欲しいとか何が好きだとかいったものはなかった。抗っているつもりでも、実際には誰か/何かに隷属していた。「さもなければ死ぬ」からで、自分自身が常に人質であった。つまり恐怖心に振り回されていたのだ。怯えていればなんだって悪い兆しに思える。悪く受け取ってしまう。

しかも私は立場上、本当に四方八方から否定されまくる。ここは私の気のせいではなく、同じ目にあった証人が山のようにいる。悪意ばかりを受け続けていれば悪意しか育たない。当たり前のことである。

完全に自分などない状態だった。何もかもを恐れ憎みすっかりいじけていたが、そうは振る舞えない。過剰同調をこじらせて多重人格の診断一歩手前である。解離性障害ではあるはずだ。

 

うつなど何でも、自分の感情を押し殺さねばならない状態であった人は「〜したい」といったことでなく、まず怒りを覚える。「もうこれは嫌だ」という思いである。私もそこから主体性を持てたのである。子どもの発達でもまずは嫌がることを始め、それが主体性自発性となって行く。私は親からその段階を容赦なく踏みつぶされている。ともあれ、投票「しないといけない」とか「させてくれない」などでなく「どうしてもしたいがどうすればできるのだ?」という思いに変わったのだった。

そういうストレートな思いで訴えかけたら何人も助けてくれた。調べてもらったり電話で選挙管理委員会に聞いてくれたりなどした。どうにか付き添いと一緒に行って投票してきた。

これは美談などではない。こんなに手間をかけねば病人、障害者などが投票できないなどもってのほかである。投票させたくないのではないだろうか。だから今回は様々の当事者が立候補しているところに票を投じた。そして彼らは議席を取った。何と言う革命かと思う。本当は浮かれたくもあるのだが、引いた目で見れば日本のお粗末さがあからさまにすぎるのだった。

 

私個人にとって、これほど意義のある門出もないなとは思う。意義というか非常に象徴的だ。「自分のしたいことをして生きる」最初の行動が国の先を変える選挙への久方ぶりの参加だった。

 

私は生き直す。

私の人生で私の生活で、私の生命なのに、他人が決めて他人の評価ですぐ振り回される。

その生き方をどうにか放棄したい。

ヒトリゴト

滅入っている。

また昨夜も完徹の状態である。そして眠りにつけそうにない。凄まじく眠いが、緊張度が高い。

 

昨日からどうにも精神が荒れがちだ。いや14日月曜日からなのだが、いよいよという段階に入りそうだ。

 

フラストレーションの発散法を私は現在持っていない。ひとりSMごっこは発散ではないしな。

 

今日は通院日なのだが、行くのは諦め始めた。主治医とは会って話したいのだが……。

 

冬はこうなるから嫌いだ。

 

 

 

 

なんとなく 2019/01/08 18:04:29

落書きのつもりで書こうかな。

 

……で悩むのが私であった。

じゃあいくらか有意義そうなことを考えてみようか。

 

「生きたいように」というブログタイトルを決めた時は、「生きたいように生きる」なんてことはまるで想像できていなかった。言葉の意味はまあわかる。頭ではこういうことなのだろうということも一応わかるというか、説明はできたであろう。理解なんかしていなくたって言葉を組み立てればそれなりに格好がついてしまうものだ。

詭弁とかいう。いちいち瞬時にその場を切り抜けねばならなかった私が身につけた生存術である。それができるというのは事実として能力がある、高いのであって、卑下することも特にないな。わざわざ喧伝することでもないけど、使いみちはあるはずだ。こうやって今みたいに言葉で気持ちを立て直して行くよう、コントロールすることも詭弁ができるからできるのである。

 

もちろん「詭弁」はいいものではない。試しに検索してみたら凄まじく悪い意味に解釈されている(苦笑)

ここで私が「できる」とした「詭弁」は大したことではなくて、

 

  1. 道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論。こじつけ。

 

出典 小学館 デジタル大辞泉

 

この程度の意味合いである。色々長たらしい解説があるのを見て、何か他の語彙を選んだほうがいいかも知れないと苦笑いした。哲学を学ぶ人から色んな突っ込みが入りそうだ。

さしずめ、思いつきからこじつけをしておいて成立しそうな根拠をあとから考え出すというか思いつくということだ。

 

悪用せず良いことに活かせばいいし、使うべきでないこと・場面では使わない。私にはそれが難しいが(あまり意識的に生きていないから……)、そういう使い方(使わないこと)に気づくことができるようになったことは嬉しい。少しはましな生き方に近づけているのではないだろうか……。

 

で、生きたいように生きるとはどういうことかやっと理解し始めたらしい、というのが本題である。

 

前記事がそういう話であった。

11月に誕生日を迎えたが、年齢を数える日が近づくと「残り時間」をとても意識するようになったのである。生まれてから何十年も、自分の年齢など気にしたことはなかったのだが、残り時間がそんなにないかも知れないと気づいてしまえばそうも行かない。

 

ずっと「自分の意思」は抑えつけていた。主体性だの、主導権だの、本当に一切放棄してきた。自分が主体となって感じたり選んだりすることは、私には命をかけるくらい勇気がいるものなので、そうそうできない。

あまりにも本当にそういうことが発想できないので、先日も人に驚かれたし自分でもかなり驚いた。これ自体「生きたいように」つまり「自分のための自分の意思を持って」生き始めたことの証である。

10月くらいまでなら、私は驚けなかった。「驚きを感じなかった」のだ。驚くということはかなり危険なことだからだろう。他のことなんか吹っ飛んでしまい、1つのことで動揺している状態である。サバイバル・切り抜けの連続だけが人生だった私にはそんなことは危なくてあまりできない。

また、驚くというのは「相手によっては足元をすくうチャンス」であるから、私にはその意味でも危険と認識してしまうことなのだ。動揺しているのだから虚をつきやすいし、「大したことではなく驚くべきことでもないのに動揺している」と嘲笑のタネになる。

嘲笑だの言うと「それがどうした」と思うかも知れないのだが、嘲笑とか見下すことを「悪」としない日本にあっては結構なことなのだ。

恥や屈辱感というのは、とても人の力を奪う。生きるのに必要不可欠な勇気をくじいてしまう。自尊心を壊される。自尊心が育っている人にはもしかしたらよくわからないかも知れない。

笑われないように、怒られないように、自分のせいで迷惑かけないように……。日本人はそれが基本になっている。人から良い評価をされることが全てに優先する大事なのだ。「みっともない」なんていうような言葉がたくさんある。

罪悪感や後ろめたさでいっぱいの人が多いし、その感覚に耐えられず、自分がそれを与えて人を支配する側に回ってしまうのは、残念ながら非常にありふれたことである。そしてそうなった人は何かに怒ったりして声を上げた人などを「何をまたくだらないことで大袈裟に騒ぐんだ」と笑いものにする。自分はそうやって自分のためにちゃんと怒れないのである。怒るときは何か理由を自分の外に見出す。主語が自分でなく世間とか常識とか、そういった曖昧なもの、確かめようにないものになる。逃げが打てるのだ。そして自分は責任をかなり軽くできる。

そうでないと、笑いものにされる、あるいは「社会的に殺される」などとおびえているのだ。また、マウントしか戦い方を知らないというのも物凄くよくある。意見1つ言いたいだけなのに、めちゃくちゃに相手を蔑みこき下ろし罵倒しないとできない。言い返されるのが怖いのだ。もしも自分が間違っていたら、大変な失態なのだ。万一謝罪せねばならない事態になんかなったら生きていけない。だから相手の勇気は徹底的に奪っておかなければならない。言い返せないようにしておいて、「何も言い返せないから俺の勝ち」なんて、子どものケンカよりたちが悪い。相手が何を弱みとしていて、何を言えば効果的にくじけさせられるか、大体わかっているのである。意見をいうのに、相手を罵る必要など初めからないし、言い返されるのは話し合おうとしているのだ、とは受け止められない。勝負でもないと気づかない。どちらが正しいかなんてどうでもいいことである。一緒に出した結論で少しでもいい方にことが進められるのが「意見を言う」目的である。相手を叩きのめしたりやっつけたり自分がヒーローになることではない。

 

長くなったが、つまり私はそういう生き方をしていたのだと思う。

 

私は人生開始から今もずっと「支配を受ける者」としてしか生きていない。そうでない状態や関係がわからないのである。知らないだけのことなのだが、相手がいないと学習できないことなためか、なかなか「そうでないもの」をつかむことが一気にはできない。つまり常に上下関係の下の方を受け持っているので、嘲笑だの酷い見下しだのを受ける側である。常に生きる力や勇気を奪われ続けて来ているということだ。

だから、私は感覚が非常に刹那的である。出来事と出来事がみんな独立してしまっていて、すべて「とりあえずどうにか切り抜けねばならないこと」であり、次のエピソードが起きたらそれに全力になる。そして何も残らない。全部「せん滅すべき厄介なこと、敵」であり、済んだら覚えてなどいられない、耐えられないのだ。何もかも「てこずって大変だったトラブル」としか思えない。思い出したいことがないのは当たり前だ。

 

積み重ねるということができない。それがどれほど人生を「困難なだけでちっともいいことのないもの」にしてきたか、人生を、自分をどれほど損なって来たか、わからない。

 

そこからとにかく逃げ出したかったし、ましな生き方ができるものならしたかったが、それがどういうものか見当もつかなかった。

 

『自分が選ぶこと』というのは、「義務」「責任」というよりまずは「権利」「当然して良いこと」である。それが重たい言い方なら、選択肢としていつも必ず与えられるものである。それが当たり前に許されるのが人生だとは知らなかった。生きていていいし、そうでなくてもいいし(私はそういう考えである。それは別途話すべきであろうが)、その生き方もどのようにしても実は良いのだ。「つらければこうするといいよ」は、「つらいのだろう、ならこうしなさい、さもないとずっと苦しいんだぞ」と脅す言葉ではなかった。逆である。解放してあげたくて何とか言ってくれていた、受け取ってもいいし無理ならその時は脇に置いといてもいいよ、という、優しいプレゼントだったのだ。そうでない言葉を放ってしまうのは、語彙がないだけだったりもする。何より私はいつも世界中が敵しかない戦場であったし、抜けた訳でもないので、誰にも少しでも脅威を感じるものがあれば、怖くて噛みついてしまう。相手はそれでは強く言うしかないのだ。私は相手が言い返せないほど反論して論破して、こちらが正しいと双方が認めなければならないような言論をしてしまってきた。何を言っても全部封じられるのでは、それこそ相手が怖いだろうし、怖くなくても相当に負担なはずだ。論理が破綻しないだけで、根本的な部分がおかしいのである。私自身が自分を修正してきた過程で、そういう相手と会話するのにしんどい思いをしばしばしている。相手が気づくまで根気よく待つことなど、私はできはしないのに、そうしてくれようとした人達ばかりだったではないか。敵なんか少ししかいなかったのだ。数えられるほどしかいないではないか。

 

そうしてみると、私はいもしない支配者に怯え続けて来たことになる。過去には長く実際にいたし、たちの悪い数人に出会って往生したこともあるが、「そうでない」人達が多かったのだ。申し訳なさも激しいが、私は暮れから感謝ができる人間になった。

 

本当にありがとう。私は生き方を少しずつ、変えることを始められました。

 

というわけで、最近はよく泣く羽目になるのであった。コレが悲しいなのか、コレが嬉しいなのか、といった具合だ。

 

しかし、短く書けるようになれる日は来るんだろうか。

生きたいように生きる 2018/11/18 20:59:18

先日誕生日を迎えた。

年齢的に、苦しい人生を生きてきた人が、無理できなくなってくる年代である。

 

親友と思っていた人の自殺した年齢を少し前に超えたのだが、その年齢をただぼんやりと迎える訳に行かなかった。

その頃、わたしはレイプ未遂の被害でPTSDの状態になって無茶苦茶な状態だった。「狂っていた」と言って過言ではないと思う。

PTSDはその1つでもなければ、周囲に理解されるものでもない。セカンドレイプなんかどれほど受ける羽目になったか。

PTSDは医療の対象にはなりにくく、警察が何かしらしてくれるには未遂ではダメだし、わたしの状況では立証がかなり困難であった。

 

英語であればすべて「rape」なのに、どうして日本ではたくさんのランク付けをするのか。未遂をなんというか忘れたが、わたしはハッキリ拒絶していたのに無理に結構なことをされた。外国の友人達からは警察に通報しろ、大丈夫か、なんというア○ホール野郎だ、といった反応が帰ってきて、今も思い出すと慰められる。

当然トラウマケアはあるんだろうと言われたが、「ない」と言うのがほとんど正解である。大金がなければ被害者、サバイバーから先へ進む助けも得られないのだ。

 

ともあれ、わたしは生き残ったのだ。親友の歳を超えた……

特に義理立てとか言うことはないが、この時期は平静ではいられない。季節的に鬱状態になる頃でもあるし、自分の誕生日をまともに祝われたこともごく最近までなかったし、思い詰めたりが多いのである。

 

そして2年前は自分が人間であることに気づいた。実感できるようになったのだ。それまで自分は無機物の道具とかゴミクズだとしか認識しようがなかった。何十年もそうだったので今も負担の強い状態で参って来るとその感覚に戻る。それを口にするとどうも人間というのは凄まじい嫌悪感を抱くらしく、かなり相手や状況を選んでも結局無茶苦茶に叱責やら食らう。なぜまだ何も話していないのに袋叩きにあうのかわたしは理解できないのだが。聞きたくないのであればそう言うべきではないか。わたしが悪いとかなんとか屁理屈でさらに痛めつけて何が面白いのか。

 

昨年は誕生日の辺りで対人攻撃にあって精神的にノックアウトされて入院していたが、入院中に、ずっと必要だったことを理解した。わたしは他人に向けていつも言い訳やら考えて行動していた。そのように育てられたからであるが、普通、他人のことはまさに他人事であって、かなりのことでもどうだっていいのである。他人の顔色を伺わねばならなかったのは、わたしのいる状況、環境がおかしいのだ。わたしには「境界」が全く育っていなかった。自分と他者は別の人生を生きていて、ハッキリ言えば特にはわたしがどうでも知っったことではないし、逆もそうなのだ。

 

だからいちいち言い訳なんか必要なかった。それに気づけたのはたった1人だけわたしをなにも否定せず、甘やかしてくれ、優しくしてくれ続けたからであった。彼女がわたしをさらに人間にしてくれたのである。

 

その気付きがわたしをまた大きく変えて行くが、少しそれどころではない状況になっていた。またもPTSDである。

 

だいぶ自分で対処を探ることができはしたし、良くも悪くも放置されているので試行錯誤が邪魔なくできていた。

 

9月からまたブチ壊され、一体自分は何がどうしてこうなるのかいよいよ参っていた。せっかく見つけた方法で順調に体力も付きだしていたが、寝込んで元より悪化した(体力的には)。

 

今月まで降下を続けてきたが、わたしは主体的に自分の人生を生きることにした。自分のために自分の人生を自分が主人公として生きることは、かなりの逆風があるがこれまで他人のことばかり考えて機嫌を取って自分のことを優先するどころではなかった。自分のためにそうしてきたのだが、「受け身」であって、わたしは何も選んでいない。来たことに対処するので大わらわで時間がすぎる。

 

そうして死んでいった人達ばかりであった。あるいはわたしが捨てられ見限られる。とんでもない形で信頼を裏切られる。毎回自分を何と言うバカな世間知らずのお人好しかと嫌悪してきた。どうして学習できないのか。

 

主体的に生きてないからだ。わたしはわたしの人生なんか持っていなかった。なにも持っていなかった。重い障害で助けてもらえないと生きていけないが、それはわたしがなにか選んではならないという意味ではないはずだ。したいことなんかなかった。自分にはそんな権利はないからであった。感情も死んでいた。普通のまともな生活も知らないし、全く想像できない。去年数人の「普通」に暮らす人達と初めてガッツリした関わりを持てるまでは、本当に人間についてもなにも知らなかった。

 

その人達とも結局うまく行かなかった。行政から認められてやってくる支援者ともまともな関係にならない。

 

訪問看護師とも耐えられなくなり、初めて「自分が嫌だし自分の何かを良くするのにトータルで助けにならない、むしろ具合悪くなる」という理由から辞めてもらった。そんな大それた決断を自分でして自分で結果を引き受ける事にしたのは、人生で初めてだった。

 

直後、わたしは心身の調子を更にくずした。そして一体何だったのかと思った。彼女とも悪いスタートではなかったのに。

 

わたしだけの理由ではないはずだが、奇妙な事に気づいた。

 

休めない休めないといって助けてくれる人や方法を考えて来たが、なにも休みたきゃ勝手に休んで「誰がなんと言おうと」寝てたって問題なんかないじゃないか。

 

わたしは幼少時から常に恐怖感に駆られている。万全の備えをしようとしてきたのだ。できる訳がない。

 

必ず不安や「敵」がなければ生きられなくなっていたのだ。無理に自分を動かすために、生き延びるために不快なこと不本意なことも耐えて遂行するように。それには叩き潰す対象が必要だった。「仮想敵国」というのを作り上げるのと完全に同じことだ。

 

敵などいなかったのだ。いるかも知れないがいつもいつも相手を疑っていたらその相手を敵に育ててしまう。不安材料を探しすぎるので、解決しなければならない懸案事項を自分で生み出してしまう。それで休まる訳はない。

 

敵も不安材料も、なにもわざわざ見つけ出して対処しなくても大丈夫だ。これまでメチャクチャな人生・生活で今でもなにもできやしないが、死んでないじゃないか。

あら捜ししてわたしを罰する人間は、まあ、親ほど凄いのはさすがにいないし、親の方からは安全圏にいるではないか……。

 

もう何かを自分のせいでどうなったとか、自分が悪いからどうだとか、そんな思考をやめることにした(因果応報とか真面目に信じてた自分が信じられない)。そして、自分の人生の邪魔をする人や事柄に時間やエネルギーなんか割いてる余裕なんかないのだ。そんなことして遊んでやる時間なんかわたしには残されていない。そもそもそんな義理もない。

 

わたしは誕生日に、「生きたいように生きる1日目こんにちは」と挨拶し宣言した。

 

生き方を変えることが簡単ではない事実には、早速ブチ当たっている。

 

わたしが悪い訳でもないし、というかもう誰が悪いとかどうでもいいので、先に進むためにはどうしたらいいかを考えている。3日2晩泣き明かしたり食べられずにいる。やっとトラウマを思い切り刺激されたからだというところまでたどり着いた。

 

さて、どうするのがわたしにとって、楽しい結果になりそうだろうか。

フラストレーション 2018/10/25

イライラがおさまらないので書いてみる。

 

昨日は朝から起きていた。そのまま今、2018/10/25  6:22 まで眠れていない。

 

寝ようとできないのである。発達障害者だからだとか、強いトラウマ持ちだからだとか、そういう理由も正しいのだろう。

 

わたしはずっと神経を尖らせたままの状態で数十年生きてきた。気を抜いた経験が全くない訳ではないが、思わず日記だのブログやSNSで吹聴したり、主治医に「どうしたんでしょうか」と相談してしまったり、生涯で何度あったか回数が数えられるような非常に珍しい現象なのだ。

 

条件は「そこそこ以上の親しい関係にある人といる間」がほとんどだ。また入院中もまあまあ適用範囲である。自分1人でないことで、全方位に緊張を巡らせておく必要がないと判断するらしい。例えば突然の来訪者に必ず自分が対応せねばならないとか、何か生活必需品が欠けていないか気づくとか(わたしはそういうことがわからない。生活に必須の物事をあまり知らないのである)、時間が来たらその時刻に相応しい行動を取るとか(前項に同じ)、自分1人では解決できないことが突如発生するとか(どうしても頻繁に起きる)、そういったことをすべては意識し続けなくていい。

 

また、わたしは、相当意識しようと頑張っても、「飲食、睡眠、休みを入れる、お手洗いに行く、歯を磨く」など、普通は生きるのに最優先事項に挙がるであろうことだと思うが、これらをすぐに忘れる。わたしにとってはこれらの優先度は「最低」なのだ。そんなことより今困っているトラブルを解決すること、何か起きたら即時対応できるように備えていること、といったことが最優先で、当然とても緊張度が高いままとなる。喉がかわいたなんてなかなか気づけないし、食べることはとても労力が必要で好きではない。食事も睡眠も不要な身体になりたい、と昔から思っているが、ある時「食事と睡眠がなかったら死んじゃうじゃないか!」と仰天された。その反応を見てわたしが驚愕して、20年くらい経った今でも思い出すくらいだ。そうか、「それでも死なない」という意味で言っているのにこんなリアクションをされるということは、よほどそれらは「普通は大事で、生きるということから切り離すなど想像できないこと」なのだろうと考えるしかない……。わたしはとりあえず人がいれば眠りも食べもできるが、自分からできる訳でもない。「そろそろお腹すかない?」「もう寝ようか」などと言われて、抵抗なくできる(ことが多い)という塩梅である。

 

こういったことは、通常の生活ができる人には理解しがたいらしい。優先順位が普通とおそらく反対なのだろう、という説明は昨年思いついたのだが、「人といれば眠れるしうなされにくいが1人では寝ようとすることも忘れるし、寝つけないし眠ることに非常に抵抗してしまう」といった話を人にしたところかなり驚かれたようだった。

その人から「それは既に1人で暮らす状態じゃないな」と言われた。今度はわたしが驚く番で、今でもそんな即答ができるのが何故なのか不明である(うろ覚えだが「1人では眠ることが非常に困難」という説明をする前だったと思う。飲食眠るなどの優先度が最低なのだ思うとは言えたが)。とにかくそれは大変正しい見解で、わたしの苦労は「1人で生活する能力もなく、そういう病状でもない」のに独り暮らしを余儀なくされていることに大きく由来する。

 

【ちょっと言い訳】眠すぎて言葉遣いが堅苦しいが堪忍願いたい。わたしは頭が働かないと小難しい言葉しか出なくなるのである……。(じゃあ寝ろとか言わないように。それができない話をしているのだ)

 

なんて言っていたらやっと本当に起きていられなさそうな睡魔がやってきた。

 

続きを書くかも知れない。では……

 

2018/10/25  6:59:44 おやすみなさい……

 

スルーする力 2018/10/23

寝るつもりだったがちょっと整理しておかないと具合悪さがすこぶる悪化してしまう。

Twitterであるが、議論のつもりで攻撃して来る人に出くわした。

私はこれまで、そういう人にもきちんと返事をすることにしてきた。私が誠実だからとか言うよりも、話をできるだけ出来るようになりたかったのである。また、私は色んな物事の加減がわからない。人とまともに関わった経験がなかったのである。

話をしてみなければ相手がどういうことを考えたり言ったりしたいのかはわからない。どういう人なのかも、話もろくにしないではわからない。ほんの僅かな言葉から相手を決めつけることは非常に危険である。

だが私はあまり判断材料を知らないできた。人を見る目は全くない。即断は一般的にもいいことではないだろうが、「すぐにわかる危険な印」というものがある。雑に言えば「『こういう人は危ないから逃げるべきだ』という常識レベルのサインがわからない」状態で何十年も生きてきたのである。

そのため何度も危険な目にあってしまった。PTSDにもなっている。

2年前、人に手伝ってもらって、自分がどういう状態で生きているのか知ることができた。その頃までの人とのやり取りがいくらでもログとして残っているが、自分は日本語がわからないのかと疑ってしまうレベルで会話ができていない。また言っている内容や表現方法が目を覆いたくなるような悲惨さである。何が言いたいのか全くわからない、意味がわからない。よくこの状態の私に付き合って貰えたものである。

その指導でブログを書いていたが、それに限らず文章はかなり気をつけて書くようになった。「初見の人が読んでも理解できる」ことを念頭において書くことが第一の原則である。他にも注意点はあるが割愛。ともあれ書く時、言葉にはとても慎重になった。

並行してその人にテキストで会話の仕方をガッツリ直された。その人が何をどうしたのかわからないのだが、私のものの見方考え方などは変わってしまったのである。

その時期を過ぎてから不思議なことに、テキストで人が発言した時の理解度が驚愕されるほど上がっていた。口頭でもその技術は上がったのだが、ネット上で見た発言の意味や、何故そう言うのかなどが瞬時にほぼ間違えずにわかるようになっていた。

当然断言できる程度のことに限られるのだが、それでも人からは驚かれるというか仰天されることもある。

が、体調が酷く悪化してきた最近、動じずに表層にとらわれないで読む技術を駆使する体力がなくなりつつある。元々打たれ弱いのだが、攻撃的な言葉にはとてもダメージを受ける。

冒頭の話だが、最近は自分で体調のことをわかっているので、議論になりそうなことを我慢するようにしていた。自分から発信することは「絡まれやすい」こともけっこうある。だが、アカウントの目的がアニメ・漫画のファンとしてのものなので、あまり「うるさい」人や「心ないことをいきなり言う」人にはそうそう届かなかったのである。

油断したと言うよりも衰弱や不眠で判断力などが著しく落ちているのだろうか。今もそうなのでわからない。ともあれ、私の言った返事がかなり気に食わなかったらしい。

人にはそれぞれ事情があり、何も知らないうちから簡単に責めるべきではない、という趣旨のことを言った。が、相手を非難したわけではない。その人も知らないだけであろうから、まあまあそう言わずに、くらいの気持ちから言った、今思えばお節介であった。

相手が突然えらく攻撃的になったのだが、全然的を射ていないのだった。ああこれはめんどくさい人だと思い、ミュートした。正確にはめんどくさい状態に陥っただけであるが、私に相手を続ける体力はない。その義理もない。理解しようとしない人にわからせるのは非常に大変で、あまり成功しない。

私は正しいが、その人も詳しい事情を知らない立場にいるからには、また正しいのである。ただ、駄々っ子のように何度も何度も「じゃあこれもこういうことになりますね!?」と言ってくるのは、自分が正しく私が大きく誤っていることをわからせたいというだけであり、もはやきちんと向き合って話せる状態ではない。私を非難して、恥をかかせ、屈服させたいのである。そんな子どもの状態の人とかかずらう必要はない。むしろ私の健康が第一である。(こうして時間も労力も使っているが、相手をするよりも建設的であろう)

幼稚な口論を議論と呼ぶ習慣にはうんざりしている。私自身が相手を叩き潰すようなやり方をしてきたから、余計に気分が悪い。もちろん私は相手を直接的に否定する言い方をしなかったし、否定しているつもりがなかった。たちが悪い。

相手をわざわざ「叩き潰してやる」なんて悪趣味であると同時に、そんなに自分が正しいと証明して回らねば気がすまないのか。その場の喧嘩には勝つかも知れないが、いちいち人目なんか気にしている段階でバカバカしい。自分の危険だとか現実的に損失がある訳でもあるまいし。どうでもいいことだし、どうでもいい人なのだ。その人に私の正しさを思い知らせたところで何になるだろうか。

もっと私にはエネルギーを使うべき事が本当にたくさんある。どれも楽なものでもない。

生きて行くにはスルースキルが酷く重要なのだ。
やっと少しわかった。

 

人間と私のこと 2018/10/22

今、自分がとても嫌いだ。

とても眠い。これだけ眠ければ普通は寝るだろうが、私は眠いと不安感が強くなるため抗おうとしてしまう。

およそ1か月間、咳を伴う風邪様の病気が治らない。衰弱は凄まじく、Twitterがほとんどできない。

私は書くことに異常なほど執着があり、依存してもいる。SNSが唯一外界と繋がる手段であるからそこにも依存している。人間の三大欲求などというものが言われるが、「社交したい、社会(コミュニティ、共同体)に属したい」というのも凄まじく強烈だそうだ。
ほとんど寝たきりに戻ってしまった今、Twitterで何かしら書いたり会話をするだけの体力思考力がないのは苦痛である。読解力も表現力も自分が先日までできていたレベルに達しないどころではない。書こうとするだけで頭痛や吐き気がしたり、何も思いつかなかったり……

眠気は私にとって危険を感じるようなものでしかない。大嫌いで不快でしかない。
今は私からわずかにできることを奪うものに感じてしまう。眠らなければもっとできなくなる、という理屈のために1か月かなり我慢してきたのに、この1週間で最悪に悪化した。

病気で体力が急速に奪われることは酷い効果を生む。私は6年前に初めてこれを経験し、そのまま一切改善していない。いや、この1年くらいでちょっと変化はあった。さらに今夏、サプリメントの服用でかなり頭が回転するように戻った。
それらだって大変な努力や忍耐のあとでのことなのだ。今何も言いたいことを表現できなくてとても悔しい。

詳しいことはまた書くことになるが、PTSDの一環で、私の自己否定感は強烈である。

参っていると自分を殺したいくらい嫌いになる。何もかもが自分を責め立てる材料になる。そして他人も世界も、何も信じられないし信じてはいけない感覚になる。危険だからである。自分を守ったり親切を貫いてくれたり、見捨てない、攻撃しないものなどない。私は無価値で無能で無力で、人間扱いどころか生き物だとさえ思われてはいないし、また実際にそんなものだ、という刷り込みがよみがえる。

何もかも私が悪いというのが当たり前でしかない。「生きてるなんて申し訳ない」といった感覚になる。申し訳ないというか、そんなことは本来許されないのに図々しいにも程があるというか。

私は誰かと自分を対等だと感じたことはない。必ず相手が上である。上下関係だけというわけではないが、とにかく施しを受けるとか、哀れんで頂いて親切を受けるとか、根底にはそういう意識がどうしてもある。このことを告白することもどうも強烈に相手の怒りなど不快感を誘発するようである。

人様の機嫌を損ねることは私の死や凄まじい恐怖体験をさせられることと同義である。理由など知らされることはないが、そんな権利が私にないからに決まっている。不興を買った上に厚かましい。

殺されても文句も言えないような大罪である。何故私はこの数年内にあった被害を完遂させなかったのか、逃げ出したり撃退したのか、私など人間様の食い物にされて当然、それくらいの役にしか立たないくせに何様のつもりなのか。人間様に逆らうだなんて。

強さの差はあれど、私の人生はそういう経験の連続である。どうやら他の人達はそうでもないらしいので、わからないのも仕方あるまい。私だってまともな生活や世界は経験がないし、人間を信じて酷い目にあったことはたくさんあるが、信じて良かったというような経験はしたと言える自信がない。だから他人の人生経験をどれだけ聞いても遠い世界の話なのだ。

自分から自分の酷い経験や今も続く境遇について自分から話すことはそれほどはない。言ってもあまり詳しいことは言わない。痛い目に遭うからである。そしてわかってもらえたらラッキーだなくらいには思っている。

そういう意識でいられる余裕も当然ない。そもそも発言さえずいぶんできないのだから。

まとまらないし、推敲する元気もない。だが、この1か月で相当鬱憤が溜まっているので、まあこれでもいいや。

きっと、伝えたい人に伝えたいことは伝わらない。自分でも何が言いたいかわかる文章ではないとわかっているが、今はこんなものが限界だ。悔しい。

ひたすら自分を責めている。
何をしてもやはり誰かが気に入ることはあり得ないのだな。私がうんと無理して相手に合わせて自分など消してしまった状態でなければ……。

本音など言うものではない……。気など許すものでもない。私にそんな権利があるなんて思い違いもいいところだったのだ。

私が間違えたのだ。どう言っても何故か私が責められるので、相手には見られないここに置いておく……。

とても悲しい。人間とは友達になれないのだなあ……。