判断しないとかいう話 2017/02/06 4:35-5:15
どんどん放り込んで行く。
判断しないという考え方がある。
すぐに良い人だやな人だと決めつけたり、何かあったら良い悪い他、意味をつけることなど。
それが必要な場面はあるのだが、固執しちゃうとどうもうまく行かない。
私は過去にあったことのほとんどは酷いことだったと感じているが、それをどうにかすることに固執していた。
どうにかしたほうがそりゃラクだろう。辛く感じているのだから。ずっと苦しんでいるのだから。
だけどそれをさあ私にとって意味があったことだったと思おうとか整理できることが良いことだ、と思い過ぎてブログに取り組んでたと思う。
んな簡単な話だろうか。
無理矢理「プログラムの書き換え」をするようなものだろう。
そうじゃない気がする。
今はこう感じている辛い苦しい、と書き出すことまで良し悪し決めてやるもんじゃないと思った。
吐き出してみなきゃわからないし、吐き出す前から意味を決めてどうするよ。今の私の心はそれで整理つくのか?
つくならもうついてそう。
わかんないけどどれだけ長いことやってんだ。何も変わらないって何か変じゃない?
苦しいのわかってもらうことに固執して来てたからなんじゃないだろうか。それなら私は苦しいままで納得行くよね。そうじゃなきゃいけないと思い込んでいたわけだから。
だからただ吐き出してみること。何か期待せずに。いたわられるためにやるのでは、そりゃ、苦痛でいっぱいの状態にとどまり続けるんじゃないのかな。
変わりたいんじゃん。それも評価されるためじゃない。少なくともそのためだ、って固執してたらなんか意味なさそう。
自分が楽しく快適になることが目的だ。
それ自体は目的なんだからそっちへ向かって変わろうとするのは当たり前。
歯が痛いからこんなもんで。