生きたいように

NIKITAは発達障害。考えるための色んなことを書く。そんな感じ。

怒り 2017/02/06 13:17-14:54

今さっきまでTwitterで怒っていた。

尋常な怒り方ではなくて、ちょっと大丈夫か、という感じ。

 

奨学金のやり方がどうも変わるようである。そこさえ確認していない。

私を怒らせたきっかけは新聞の投書で、それもあまりちゃんと読んでいない。

ただ、御年67歳のご老人が書いたのは「自分の頃は学費くらい自分で捻出した。アルバイトはいい勉強にもなった。食うに困るほどの状況なら給付もわかるがどうも気概が足りないのでは」という内容だった。画像はあるが見てもしまた激昂し直してはちょっと困るからひとまず先へ。

 

最初に私が言ったことは普通のことだったようだ。大学は勉強するところで、社会勉強は社会ですればいい。働いていては勉強する時間が取れないし食うに困らなきゃもらえないような奨学金とは奨学金ではない。こんな投書を載せる新聞はおかしい、そんな内容だった。そこそこRTなどされた。まあ今書き出しても普通のことだと思う。

 

私はそのまま続けて自分個人の話をし出したのだ。忘れていた高校から大学をやめさせられた経緯を。

最初にしたツイート自体本心から言ったが、それを呼び水に自分の過去のことに対する怒りにずれたのである。

 

10年から20年ほど昔の話だ。忘れていた過去の記憶を急にはっきり思い出したものと閉じて感じないようにしていたが鮮烈に感じるようになった感情がかみ合ったと言えば良いだろうか。

 

私にとって大学は自分の意志で何事かを決めて動き、納得いく結果を得た象徴である。学歴とかそんな問題ではない。

 

極めて個人的なことだから公共性の高い話と混ぜたり連続でつぶやくのは通常の基準からはずれた行動であったが、それ自体よりも、怒りとツイートが止まらなかったことが私には困った。少なくとも1時間は超えていたがもっと長かったかと思う。そしてずっと泣き続けていた。

 

感情がまるでコントロールできないのだ。記憶も昨日のことのように思い出された。つまり、過去のことではなく今のこととして味わい直したのだろう。

 

これはこのままでは困る。苦しいし止めることもできない。行動の基準からしたら狂っているし、生活するのにこれでは他の用があるのに邪魔だ。

 

ではどうしたものか。

もらった助言を思い出すと、怒りとは最も扱いにくい感情だが、代わりになる感情はない。ある意味では自分を最も強くするものであり、決して粗末にせず丁寧に向き合え、と言われた。

そして、私を過去酷く苦しめた人間達がいる。私はその者達をどうしたいのか、その最高点を把握しておくことが大事だという話をされた。例えば殺したい気持ちであれば、その考えを自分で認めること。その最高点というのは通常は実行不可能であることがほとんどなので、最高点から現実性のあることへ考えて行く。――これは怒りの感情について話した時にしたことではないのだが、自分を苦しめた人間を殺してやりたいのに怒りがないなんてこともありえないだろうから、一緒に、セットにして向き合う、考えるものだろう。

 

実はこの最高点というのがまるでつかめずにいた。感情的なことだろう。だが、いずれにしても私は怒ることにどうも強力なブレーキみたいなものがかかっていることを自覚していた。が、考えることで「最高点」は出まい。考えることを先にはできないのだとはなんだかわかるのに、怒れない。

 

記憶とか感情とかが鮮明ではなかったのではないかと思う。ちょっと前までのことしか覚えていないし、はっきりした感情とか感覚とかいったものはとにかく感じないようにしてきた。

 

「してはいけない」か「しなきゃいけない」かしかないからだ。行動も心情もだ。つまり私には意思なんかあってはいけないということになる。

 

こいつは邪魔だ。一番の要を塞いでいるんじゃないか。

 

やるべきこともわかっている、本当はできるということも知っている。すべては意思と選択であって、問題だ変えられないと思い込んでいるのはただの「脳の癖、考え方の習性」。悩んで苦しむのはやらないだけだ、ということ。

 

暗記してしまったよ。呼ばれてしまったしいい加減時間を取り過ぎだ。また来る。