生きたいように

NIKITAは発達障害。考えるための色んなことを書く。そんな感じ。

絶望 2017/02/08 2:23-6:04

絶望したことってあるだろうか。

そこまで行かなくても挫折ならあるかもね。

 

今でこそ助けがあって、心底もうダメだと思っても何とか立ち直るけど、ちょっと前まではいくらかつきあいが進むと見捨てられるような人間だった。というより今だって自力でなんか立ち直れないことのほうが多い。

 

言わないだけだ。死にたいとか何とか。言うことではなくなって来たからであって、それは結局のところ助けてもらえたからだ。来未だけじゃない。私はすごく酷い目にあったと思っているし、辛いのだってなくなったわけでも何でもない。まだ溺れかけていると思う。最終的に来未が力を貸してくれ続けているから、どうすればいいか教えてくれたから、それだけだ。やっと自殺とかする気がなくなったけど、自力だけじゃ到底無理だった。

 

さっきSNSで友達が「死にたいとか言う人は苦手で、辛いのはわかるが何故努力して何とかしようという気にならないのかわからない」といった内容のことを書いていたのを見て、吐きそうになっているし泣くのもやめられない。

 

そういう人たちを見ていて苛つくのはわかる。が、私も少し前までそんなものだった。本当に何年かさかのぼれば完全にそういう人間だった。

 

彼女は「本当にどうにもならない状況にいる人はしょうがない」という意味のことを言っているが、そんなことがそうそうわかるものだとは思わない。

 

とても辛い。あんな風に言われてしまうと。努力の仕方も、そもそも努力して変わったり変えたりできるものだとも、何も知る機会がなく、自分の状況や気持ちを長く表現する力もなかった私にいたのは、そういったことを言って去る人ばかりだったからだ。

 

大人になって少しはものが言えるようになって初めて自分が異常な育ち方をしたのだと指摘されて知った。それでも、じゃ、どうすればいいかなんて発想にはならなかった。努力している姿を見せて嘘っぱちの情をエサにされたことしかないから必死になって頑張ったけど、そこに甘えなんかなかったけど、人はされたことしか基本的にわからないしできないみたいで、まともな人間性が私には欠けていた。

 

いつも助けて欲しかった。努力してはいたけど色々間違えていた。ついこの間、本当に先々月とかそんな頃まで生きていたいなんて思えなかった。トラブルになるから言わない、言えないだけだった。だから今だって、数時間前だって、もう全部放り出してしまいたかったから寝てしまえ、と思って眠って起きたところだった。昨年かその前ならそのまま思いつめて自殺を図るところまで行っていても何の不思議もなかった。

 

彼女は周囲に自殺者の1人もいないんだろうか。大丈夫とたかをくくっていたらいなくなってしまった人も、いないんだろうか。死にたいと思ってもうどうしようもなくて他のことが何も、世界から消えてしまった経験もないのだろうか。本当にないのだろうか。自殺さえできないくらいの絶望もしたことないんだろうか。

 

あるから偉いわけでも何でもない。が、あったらあんな風に言えないと思うのはおかしいのか、私が甘いのか。

 

来未はその辺の経験はあるらしい。だがそういった話を打ち明けた私が生きているのはすごいと言った。普通なら死んじゃってる、そんなでも生きてるってすごいと。だが1回だ。その後、私は一度見放された。本人に確認したところ、ずいぶんな言いようで話を打ち切った癖に、向こうは「元の雑談仲間に戻ったつもり」だと言った。私はもうその時の自分の心情とかそんなことは思い出せないのだが、かなり悔やんで謝った。その返事が上記の括弧内で、今見ると、さすがにあんまりだなと思う。結局はどういうことだか説明されて、少ししてやり取りを再開したのだが、その時以降、私は凄まじく無理をした。こいつに見放されたら本当に終わりだと、危機感しかなかったからだ。

 

正直な話、来未とのやり取りはとてもキツくてしんどかったし、今も素直に言うと怖いから相談とかそういうことをしていないので、私は酷い強がりでしかない。今は話すことは滅多にないし、話せば結構なダメージを食らう。そういう人だ。平然とすごいことを言う。強烈な批判もすごい言葉でする。殺されるかと思ったことは何度でもある。自分は精神状態を察して言葉を選ぶことはしないと断言もずいぶん前にされた。おかしいと思ったことはおかしいと言うし聞かないほうが良いかなと思ったことは聞きません、と。

 

彼に優しいという形容をあてるのは違和感がすごい。気は、実はかなり遣っている。言葉は上記の意味ではたしかに選ばないが、ものすごく合わせることもできるのをよく知っている。人を殺すような言葉は使わない。無駄に煽るようなことも言わない。感情を基準にした話し方をするのではないと言うから、言葉の効果をそれこそ死ぬほどわかっているのだと思う。

 

そういう人と普通の人(感情を基準にして話す人)を比べては気の毒ではあるのだけど、敢えていうと、友人が放った言葉は人を殺しかねないものだったのだ……。私は死にそうになった。こんな時間まで起きていたくなかったが、自分を修復するのに必死だった。まだ苦しい。そのうえ眠ろうと思うと呼吸困難が起きるのも最近お馴染みになった。これは友達に関係ないけど困る。この辺りで切り上げて寝たいのに。

 

私がまともに友達だ友人だと呼べる人はほとんどいない。こんなことで引っ掛かって失うなんて嫌だ。下らないじゃないか。この程度のことで、いちいち死にそうになるなんて。彼女が悪いとかいうより、やはり過去のことでいまだに苦しんでいるのだ。もうどうしようもできない過ぎてしまったことで。もう、過ぎてしまったのだ。

 

親友と思っていた人は2012年3月に死んだ。彼女が残した書き込みなどから、絶対に自殺だ。問い合わせた親は死因には触れなかった。自宅の店で安くこき使って、殴って言うことを聞かせていた癖に美談ばかり。娘を喪って自分が可哀想でしかない、うんざりする手紙だった。死ぬに決まっているだろうが。あんた方が病気にしてあんた方が自殺させた。なぜわからない。なぜそんなことができる。死因を書いてみろ。言えないんだろうが。どうして自殺したのかもどうせわからないのだろう。それとも後ろめたさからあんな風に「可愛い娘が逝ってしまった」ばかりの手紙になったのだろうか。どこにも自分達の何らかの反省のような言葉はなかった。お嬢さんはあなた方を滅茶苦茶恨んで死んだんです。自分を奴隷なんだと言って怒って、気力も何もなくして死んだんです。離婚しても姓を戻しませんでした。カトリックでは自殺をただ禁ずるばかりだからと言って日本聖公会に入りました。救われたかったけどやっぱり死しか選べなかったんです、そこに安寧があるかもわからないけどこの世にいるほうが辛くて耐えられなかったんです。彼女は色んなものと戦っていたんです。ちゃんと生きようともして現実的な構想もしていた。バカな悪意の人間とも戦った。彼女は間違いもおかしたけど、それだからクリスチャンになった。そういうのわかろうとしたのですか。彼女のことどれほど多くの人たちが慕ったり一緒に生きようともがいたり、死後、彼女のために怒ったりしたか、それらがどこに起因することか、想像できますか、しようとしましたか、私のように何もわかっていなかったことや全然力になれなかったことなどで苦しみましたか。

 

私は35歳、彼女は40歳だった。いや私の年齢合わないな、34歳か。彼女は確実に40歳だったけど。亡くなった時、彼女は40歳だった。去年私がやたら自分の年齢にこだわってしょうがなかったのはこのせいだ。彼女と同じ年齢になる。このままでいいわけがない。6年経つのに全部止まったままだ。その直前、私は強姦されかけた。つまり5年経っていた。いやあの時点では4年か。そのくらい現実が遠くにあった。簡単に騙せただろう。ほとんど狂いましたわ。残ってた正気で人に相談してたけどまた放り出された。その時に向こうから手を貸そうか、と言って来たのが、来未、きみだ。私とちょっと前に会ってみた時に、私には何もおかしいことはないように見えたと言った。私がおかしくないってわかんなかったけどね、きみは私がただ現実じゃなくて自分の頭ン中だけを基準に世界を見ちゃってる、それだけで、そこをどうにかすること、って言った。私は会った時自分のことは何も話してないし、それまでどっかにも書いたりしてない。やり取りしてからきみが本当に何か知ってるわけでもないことは確認したし、きみは私の話を聞いたりしなかった。会った時、きみはいきなり自分のこと話し出したけどあれは何だったんだ。嬉しかったけど 、きみ、Twitterであんな話書いてなかったから。私が見てなかったんだろうか?でもきみあの時、こんな話書けないよ、って言った。思い切り書いてんじゃんか今。ブログで過去に全部書いたって後で言ったし。とにかくきみがどういう人か全然わかんなかったんで聞いて驚くと同時にいくつも意味があった。

書けないよ、って話をしてくれたこと。

何か納得がいったこと。端的に言うとそれだけ苦労してりゃフツーとなんか違うと。

……私とあまり、酷さのかわらない印象の境遇で育った人だということ。そういう人となかなか遭遇しないもので。そういう人がまともな状態ってのもないから。

 

立ち直るもへったくれもない時間になってる……。

 

寝なきゃ……。苦しいけど、寝なきゃ。