自叙伝というもの 2017/02/11 21:55ー22:57
昔、自伝的な小説を書いたことがある。私には自分の境遇、出来事をそのまま書くことが耐えられなかったので、かなりのフィクションにした。ファンタジーに近いのかも知れない。虚構の世界を作ってみたからだ。ほぼ実家のことを書いたのだが、ただ黙って渡されて読んでもそうとはわからないと思う。
今はそのこと、つまり書いたことがあるという事実を思い出しただけで息が苦しくなるし吐き気がする。それ程、現在は物事に対する感性の強い麻痺が解けたのだと考えられる。今同じ感覚では書けない。確か30歳くらいの頃に書いた気はするが、年齢が合っているか思いだせない。それよりその頃私は強固な麻痺状態だった。あるいはそういうことではないのかも知れない。書けるだけ書いたあと、私には一定の良い意味での変化があったにはあったからだ。
でも麻痺とか何か異常がなければあんなもの書けたとも思えない内容だったけど。
鈍くなければ生き延びることができたようには思えない。そのまま、私は40歳になる年を迎えた。それが昨年である。数年前、余計ややこしくなる出来事があったので、そのままずっとただ生きているだけの苦痛しかない人生を終えた可能性は大きい。自分が生きている気もしてはいなかったが。
私はずっと、モノで道具としか自分を認識できなかった。良くて、何か人間の下に属する下等生物みたいなモノだ。
人生が始まったと本当に感じ出したのは昨日今日の話だ。それだけではまともに生きるのは無理だ。モノでしかなかった過去がいきなり消えてくれはしない。自動的にも消えない。そもそも消えるというわけでもないようである。
ここで試験的にしているのはその小説執筆と同じことだ。今度は記憶の限りでの事実をそのままただ書いていくのだが、いきなり数記事、どうも逸れた。
なるべく早く入院することになったのでどうなるか色んな意味で不明なのだが、負担にならないよう気をつけつつ書いていく。
19時から眠れなくて、ちょっとメモした。