生きたいように

NIKITAは発達障害。考えるために色んなことを書き出したけど脱思考がいいなあ。そんな感じ。

減薬を始めてから

今、私はかなり体調が悪い。服用する薬を減らし出したからだ。

 

常時使用してきた薬をやめたり減らしたりすると離脱症状というものが起きる。私は知識なしに主治医に「断薬します」と宣言した。今思うとバカだなと思うが仕方ない。勢いも必要だったのかも知れない。

 

決めたものは決めたので今のところ減らした薬を元の量にしたいなど全く思わないが、問題はそこではなかった。

 

離脱症状とはいうものの、常時起きたままの症状と、何かしら負担がかかった時に起きる症状があり、知識を入れたくても症状が激し過ぎて物を読んでなどいられないから資料があっても何もわからない。検索する体力もない。いつまで症状がこんなふうに出るのかもわからない。主治医に問い合わせたいが思考力がかなり落ちているし、言葉を考えることは酷く負担だし、種々の症状で動きが取れない。

 

そんな状態になるとは思ってもいなかった。

 

離脱症状という言葉を思いついて主治医にFAXしたのは薬を少し減らした3日後だ。私は以前、色々タイミングが悪いことが重なって薬を切らしたことがあった。経験のない凄まじい体調になったが理由はわからず、やっと問い合わせたところ、薬のひとつが切れたために離脱症状を起こしているのだと言われた。薬を出してもらい、「4日くらいで症状は消える」とのこと。4日もこの状態に耐えるのか?と思った。その後の記憶は途切れている。

 

ともあれそれを思い出したので、吐き気やら頭痛やらこらえて減らした薬の名前と「離脱症状」で検索した。私の薬では起きにくいということが書かれたサイトがあったが、私の場合長期にわたって飲んでいたのと「減らす速度と量」がどうも速くて多い気がしたので、主治医に出ている症状を書き連ね、離脱症状ではないかと聞いた。

 

出ている症状が凄まじすぎて、生活に「支障」どころか生活が成り立たない状態だった。簡単に言えば寝ているしかできない。が私は独り暮らしである。公的支援でヘルパーは来るが、精神科のヘルパー派遣は介護目的ではないので、とても短時間で、してくれることは割合に元気な人向けであり、ぶっ倒れていて考えることもままならない状態の人間向けではない。私の状態には合っていないが、私が説明できるわけもないので、主治医にどうしようか相談したのだが、要するに主治医から支援機関に口出しして欲しいということだった(これは普通医師がすることではないのだが、私の現状があまりにも酷いからだ。私の担当になる公的機関職員はこの数年ほとんどが酷い人ばかりで、色んな人に相談したところ、私の主観ではなく実際に酷い状況という指摘を多く受けた。数年続けた私自身の努力ではどうにもならないために既に何度かしてもらっていることである)。が、七転八倒していて文章がグチャグチャ過ぎて意図がわからないものになっていた。

 

主治医から返信があって、離脱症状の可能性はあり、一番きつい状態は約1週間ほどだから薬の量は戻さずに何とか乗り切ろうという内容だった。

医者としては異例中の異例な対応だろうと思われる。1時間かからずにFAXを返され、激励されたのだ。これは本当にありがたいのだが。意図とは違う返信だが実に嬉しかった。それは事実だ。小さくコピーして持ち歩くノートに貼ってあるくらいだ。

 

それでも診療なのだから、診察時に先に離脱症状の可能性をひと言言っては欲しかったし、起きたらどういうものだとかなどの説明も欲しかったので、今週末会って文句を言おうかと思う。私の準備にも限度がある。決意したからと言って何でもわかっているわけではない。何か起きることなど予想外で、先に資料やら経験者のメディアを検索するなど思いつかなかったし、必要性もわかっていなかった。

 

4月22日から開始したのだが、3週目の今、症状の軽減は軽微である。Wikipediaから偶然入手した長い親切なPDFで、ベンゾジアゼピン薬をやめるための有名らしい「アシュトンマニュアル」には色々と書いてあるのだが、症状がある状態では残念ながらほとんど読めない。あれは始める前に熟読するものだ。かかっている歯科医に離脱症状は人それぞれで1週間とか数週間の人もいれば1年ほど続く人もいると聞いた。海外の友人の学生には知識があるようだったが私が今英語を扱える状態でない。

 

知識自体も必要だが、もっと必要なのはサポートだと断言できる。精神的な支えになる人がどうしても要る。

あまりに症状が酷いからだ。体調が悪すぎる。筋肉に力が入らなくて動けないから食事がとれない、トイレもなかなか行けない。眠気がすごいのに本当に眠れなくなった。頭が興奮したままで、寝てもいられない、起きてもいられない。まずこれだけでもどれほど消耗し衰弱するか少し想像してみて欲しい。私はそもそも寝込んでばかり(数年は寝たきりだった)で体力が元からないから余計だ。

 

凄い負担ではあるが、私はなるべくノートに記録をつけ続けている。今これを書けるのも記録をしているからだ。薬をやめた人に「無理矢理症状を書き起こした」と言ったら「無理矢理って、良く書けましたね!」と仰天された。それ程、症状は激しくて、「何がつらいということが表現できない、どこがどうじゃなくてとにかくつらい」。

 

私だってこんなことしないでいられれば良いと思う。生活のことが何もできないし、ヘルパーから何か質問されて答えるために考えるだけで苦しい症状が出る。

私はちゃんと育てられていないので生活していくための知識やスキルがない。また何年も(年数のカウントをどこからしていいかわからないが)PTSDのまま加療も何もなくて来た。その状態のために寝たきりだったし記憶も出て来なくなっていたしで、自分が自発的に何とかして自活とか自立とかすることを思う状態ではなかった。

そのため、今のところ、普通の人が普通にできることわかることがほとんどできずわからない。これから掴むことなのだが、今そういうことについて矢継ぎ早に聞かれても物凄く考えないと返事ができない。何が適切か知らないのだ。元々その状態なので、たくさんの激しい症状がいつも襲ってくる状態になった今はもう考えることの負担が大きすぎて症状が更に出るのだ。

 

症状を挙げるが、自己観察でこうらしいと理解したもので、今後修正されると思う。変化もあるから、これが絶対ではない。今のところこうだということだ。

 

常時起きている症状

・ぼんやりする。注意が散漫で集中できない。忘れるし覚えられない。物をなくす。

・頭がずっと興奮した状態。休めない。じっともできないし動くこともできないので吐き出すために無理矢理書き物をする。眠れない。深夜から朝にならないとまず眠れない。

・脱力。全身の筋肉に力が入らない。このために動けない。更に他の症状がプラスされて苦しいからでもある。字を書くのはかなり大変で、スマホのタイピングのほうが手書きより困難。酷い時間帯ではスマホを支えられない。起き上がっていればそのままの姿勢で固まるし、寝ていれば起き上がれない。

・苛立ち。気が立った状態。(コレはここ数日である。疲れが溜まっているからと、薬でぼんやりするのがとれ始めて、色々な記憶が蘇り出したから。酷い記憶ばかりなのでピリピリしているのだ)

・お腹がゆるい

・思考力低下

 

負担がかかると出る症状

★発生順(負担が強いほど後のものまで出る)

頭痛、腹痛、強烈な眠気、轟音のような耳鳴り、眼痛、強く激しい過呼吸、動悸

★順番に関係なく発生するもの(強い負担がかかると即座に出る)

三叉神経痛、肋間神経痛、胃痛、吐き気(これが出ている時は負担が強い)、背中痛

 

負担とはまとめれば「疲れること」だ。

・考えること、頭を使うことが最も疲れる。中でも言葉を考えることが一番で、書くことが話すよりも遥かに疲れる。同じ書くにもタイピングは酷く負担で、書けるなら手書きがずっとラクだ。

会話について特に言っておく。

会話そのものは支えになる重要なファクタだが、色々と難がある。口頭の会話はまだいいが、テキストチャットなどは滅茶苦茶に負荷が強い。記事を書くのは好きに1人で言いたいように言えばいい独り言だが、会話を文字ですると大抵は何が言いたいかあまりわからない(文字で言いたいことが伝わるのは全体の7%であると教わった)のですごく考えて何が言いたいかいくつか候補をひねり出し、どれなのか見当をつけるのにまた考え、確認するにも相当に気を回して言葉を考える必要がある。こちらの言うことが誤読されれば説明を考えねばならない。適当さは余力があるから可能なので、体力がなくぼんやりしていて苦痛に耐えながらという状態では「適当なのかどうか」さえわからないし、関係ないように思える話を突然されたらまた考えねばならない。何が言いたいのかからやり直しだ。ストレートに言うことは日本語ではほとんどないし、省略も多いから補いつつ話さねばならない。聞き返すのにも質問を考えねばならない。そもそも会話そのものの性質がガッチリ噛み合うというわけではないものだから、余力のない私と元気がある人では負担が全く違う。口頭だと声音などの様子から察しは格段につきやすい(文字では怒っているのか心配しているのかなどの情報がほとんどないので考えねばならないのだ)し、文字打ちの手数がない分こちらの余力が少しはあるし、私の状態もすぐに口に出せる。目の前にいるなら黙っていても「会話」といえるやりとりが可能だから負担はまるで違う。★

・感情的にストレスになることは当然疲れる。これが上記症状で発散しづらくなっているから、今はストレス耐性が低い。普段なら気にならないことや些細なことでも酷いストレスになる。

・症状が出ていることに耐えているのも当たり前だが物凄く疲れるしストレスである。

・独りでいることが実にこたえる。最初は気が張っていたし余力があったからまだしも、だんだん症状の強烈さに疲れ、参ってくる。薬を減らして今19日目だが、21日目まで通院もなく、私は近所に友人が1人、ごく最近できたばかりである。支援者はお友達ではない。主治医のような理解者は、目下私にとって主治医1人しかいない。

現実世界に友人がいることは本当に重要なのだが、まだつきあいが浅いし、知識を積極的に仕入れてくれるというわけではないので、説明するために必死に書き起こしをしたのだ。

ネットの友人知人は私が文字打ちの会話に上述のように苦慮するからそうは話せない。もっともネットが一番、こういった仲間や先輩を見つけやすい。

 

離脱症状だか何だかわからなくなったのは、「薬が定期的に入って来ないことに反応した症状」が離脱症状だからだ。「負担がかかって起きる症状」は薬が減ったからではない、元々負担がかかれば心身は反応を示すだろう。ただ薬で抑えて感じなくしていたからと、常時ある症状が負担になって感じやすくはなることはわかる。そういったストレスを薬以外の自主的な手段でどうこうする習慣もなかったので、試行錯誤を始めたばかりの今は失敗が多く、かえって症状が出るようなことになったりしている(この記事を書いていることもそうなるだろう。1度に書くには長過ぎる)。

昨日、症状についての書き起こしを他の媒体にアップしたら、薬をやめた人から、大まかに言って常時出る症状が離脱症状、負担で出る症状がPTSD由来と思われると指摘された。そうやって、したことが思いもかけず報われるのは素晴らしい経験ではある。当然、結果を予測してしたことがうまく行けば、自信にもなる。それら自体は必要なことだ。

 

ただ、支えになってもらえる人の力は偉大なのだ。自分だけでできることはやはり限られている。それは経験を積むほど痛感する。安心して話せる人がそばに、なるべく近所にいることは、その事実が自力でできることを増やしてくれる。

 

だから、減薬・断薬そのものをするのは良いのだ。色々苦しいが、色々与えてもらっている。ただ、ちゃんと、いやもう少しは準備期間を設けるべきだった。決断がそれで覆るとは思えない。友人が1人では私の負担を支え切れないだろう。私達は地域活動支援センターで知り合ったのだが、今の私はそこまで出かけることができないし、新たに知り合った人と今まともな会話ができるとも思えない。

知識や情報も減薬前の体調でなければ調べることもままならないし、入手しても読んだり見たり聞いたりして頭に入れることができない。これは痛恨の極みだ。

 

私は機嫌が悪いままの状態でいることが増えている。あんまりの苦痛で本当に余裕がないのだ。物言いも気を回すゆとりがないからキツい。本当にどうしようもなくしんどい。とても周囲に気を遣うことができない。それどころではないのだ。だから、準備不足を悔いている。元々人とまともな関係を築くことがほとんどできないで来たので、今いる人達だって離れて行っても不思議はない。新たに出会うと言ってもこの状態では何も話せない。

 

現状を受容することも物凄く大事なのだが、苦しさが一定レベルを超えてしまうとなかなか難しい。だんだん、したほうがいいことなのか、できないと手放すのが(ほっといたり、人に頼んだりする)得策なのか、区別できなくなってくる。

 

私はやれること以上のことを相当無理矢理やっているだろう。しなくても良いことまでしているはずだ。必死すぎる。

それでまた苛立つのだ。自分にも他者にも寛容になれない。

苦しいとどうしても何とかしようとしてしまう。基本姿勢としてはあんまりよくない気がする。何とかしなきゃいけない義務はないはずだし、世界を変えられるわけでもない。できることはすればいいが、できないことはできない。いつかできるんじゃないの、くらいに舐めてかかっておけばいいのではないか。そういう「やさしさ」を自分に持つようにはしたほうが、たぶん人生ももう少しラクで楽しいのだろう。いつも人にはそう言っているのだけどね。

 

焦ってしまう自分を許そう。

 

これの繰り返しだ。