生きたいように

NIKITAは発達障害。考えるために色んなことを書き出したけど脱思考がいいなあ。そんな感じ。

テキトー書き 2018/10/07

文章の練習なんて気合いを入れて更新再開したものだから、書きかけては下書き保存、書きかけては保存せずに破棄、を数回繰り返した。意味がないので流し書きをしよう。

 

成り行きで何人かに文字での会話について指導めいたことをしてきた。

昨年7月頃から突然、SNSで要領を得ない物言いをしている人の話が読解できるようになりだしたのだ。そこで「こういうことが言いたいのか」と確認していたのだが、どうも私が発言を見てから読解し、平易で一般的な表現に書き換えて示すまで、ずいぶん速いらしいのである。

あるコミュニティで、私には全然追いつけないような教養と経験が豊富な議論を楽しんでいる人達とも交流があったが、上記のことを指摘された。またその中の、私よりも読解し要点にまとめ提示し話を進めまとめる力が遥かに高い人から「理解力」に驚愕された。

 

当時は私こそ驚いた。少し前までは私がまるでコミュニケーションできない側だったからだ。友人に根気よく指導してもらって最低限言うことがおかしくなくなったばかりだった。

その指導時、ブログも書いていた。添削らしい添削はされていないが、良かった時はスターをつけてくれ、話のついでにちょっと言及がある、それから友人のTwitterで時々シェアされるようになった。

 

そのブログで「初めて読む人が1発で理解できるように」心がけて書いていたため、言葉選びや語順の訂正などなど、徹頭徹尾どう書けば伝わるかを意識し続けたのである。

それをやっていたことしか、読解力が急上昇して、わかりやすく書き直して確認できるようになった理由は思いつけない。(友人の直接指導でも「文字での会話力」は鍛えられた)

 

やっと通じる話ができるようになった程度で友人の真似をするのはかなりどうかと思ったが、実験台になることを承知してもらって何人かに試させてもらった。

 

ここまで1人も指導が不要になるまで続いた人はいない。まだ指導できる段階ではないことが証明された。

 

単純に知識や技術の未熟さは当然、私に体力がなさすぎることが致命的に思える。体力がなければこちらに余裕がない。会話がなかなか成立しない相手とやり取りするのは、半端なエネルギーでは足りないのだ。ただでさえ、話が通じないことはストレスフルなものである。

そして、言葉には必ず使い手の心の状態が現れる。コミュニケーションに助けがいるほど(この場合、私の指導を受ける気になるような状態)トラブルがあるような人では、何らかの大きな問題を心に持っていることが多い。そういう相手と向き合うことになるので、こちらが基本的には健康である必要がある。

 

私は自分が相当にトラブル続きの環境で暮らしている。こういうことをすべきでないのは当然だ。

成り行き上と言ったが私の都合である。私が会話しにくいからどうしようかと思うことから始まるのだ。

あまりいいこととは思えない。相手を変えようとすることに意識が行っているからだ。

 

私は2、3年前まで、人との健全な関係を経験した事がない。支配的になっているのだな、と痛感する。自分の都合よく人を変えようとしてしまうことがまともな発想ではないなと思うのだ。それは自分と人との区別ができていないではないか。相手は私ではないのだから、私の都合のいいようでないから口を出すなんて、実はとんでもないことだと思う。

 

私がそういう人達に囲まれて生活しているので、同じことをとてもろくな行動とは言えない。

 

親切心や、ましてや「優しさ」といったもので動いているのではないのだと明確に気づいた。会話ができないから確認して話しているだけだと思っていたが、それなら教師ぶる必要はない。いくら過去の自分と似ていてなんとかしたいと思っても、今の私では責任が取れないではないか。

 

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徹夜明けなのであとで見たらさくっと消したくなるような記事になってると思います……すっごく眠いです。