生きたいように

NIKITAは発達障害。考えるために色んなことを書き出したけど脱思考がいいなあ。そんな感じ。

スルーする力 2018/10/23

寝るつもりだったがちょっと整理しておかないと具合悪さがすこぶる悪化してしまう。

Twitterであるが、議論のつもりで攻撃して来る人に出くわした。

私はこれまで、そういう人にもきちんと返事をすることにしてきた。私が誠実だからとか言うよりも、話をできるだけ出来るようになりたかったのである。また、私は色んな物事の加減がわからない。人とまともに関わった経験がなかったのである。

話をしてみなければ相手がどういうことを考えたり言ったりしたいのかはわからない。どういう人なのかも、話もろくにしないではわからない。ほんの僅かな言葉から相手を決めつけることは非常に危険である。

だが私はあまり判断材料を知らないできた。人を見る目は全くない。即断は一般的にもいいことではないだろうが、「すぐにわかる危険な印」というものがある。雑に言えば「『こういう人は危ないから逃げるべきだ』という常識レベルのサインがわからない」状態で何十年も生きてきたのである。

そのため何度も危険な目にあってしまった。PTSDにもなっている。

2年前、人に手伝ってもらって、自分がどういう状態で生きているのか知ることができた。その頃までの人とのやり取りがいくらでもログとして残っているが、自分は日本語がわからないのかと疑ってしまうレベルで会話ができていない。また言っている内容や表現方法が目を覆いたくなるような悲惨さである。何が言いたいのか全くわからない、意味がわからない。よくこの状態の私に付き合って貰えたものである。

その指導でブログを書いていたが、それに限らず文章はかなり気をつけて書くようになった。「初見の人が読んでも理解できる」ことを念頭において書くことが第一の原則である。他にも注意点はあるが割愛。ともあれ書く時、言葉にはとても慎重になった。

並行してその人にテキストで会話の仕方をガッツリ直された。その人が何をどうしたのかわからないのだが、私のものの見方考え方などは変わってしまったのである。

その時期を過ぎてから不思議なことに、テキストで人が発言した時の理解度が驚愕されるほど上がっていた。口頭でもその技術は上がったのだが、ネット上で見た発言の意味や、何故そう言うのかなどが瞬時にほぼ間違えずにわかるようになっていた。

当然断言できる程度のことに限られるのだが、それでも人からは驚かれるというか仰天されることもある。

が、体調が酷く悪化してきた最近、動じずに表層にとらわれないで読む技術を駆使する体力がなくなりつつある。元々打たれ弱いのだが、攻撃的な言葉にはとてもダメージを受ける。

冒頭の話だが、最近は自分で体調のことをわかっているので、議論になりそうなことを我慢するようにしていた。自分から発信することは「絡まれやすい」こともけっこうある。だが、アカウントの目的がアニメ・漫画のファンとしてのものなので、あまり「うるさい」人や「心ないことをいきなり言う」人にはそうそう届かなかったのである。

油断したと言うよりも衰弱や不眠で判断力などが著しく落ちているのだろうか。今もそうなのでわからない。ともあれ、私の言った返事がかなり気に食わなかったらしい。

人にはそれぞれ事情があり、何も知らないうちから簡単に責めるべきではない、という趣旨のことを言った。が、相手を非難したわけではない。その人も知らないだけであろうから、まあまあそう言わずに、くらいの気持ちから言った、今思えばお節介であった。

相手が突然えらく攻撃的になったのだが、全然的を射ていないのだった。ああこれはめんどくさい人だと思い、ミュートした。正確にはめんどくさい状態に陥っただけであるが、私に相手を続ける体力はない。その義理もない。理解しようとしない人にわからせるのは非常に大変で、あまり成功しない。

私は正しいが、その人も詳しい事情を知らない立場にいるからには、また正しいのである。ただ、駄々っ子のように何度も何度も「じゃあこれもこういうことになりますね!?」と言ってくるのは、自分が正しく私が大きく誤っていることをわからせたいというだけであり、もはやきちんと向き合って話せる状態ではない。私を非難して、恥をかかせ、屈服させたいのである。そんな子どもの状態の人とかかずらう必要はない。むしろ私の健康が第一である。(こうして時間も労力も使っているが、相手をするよりも建設的であろう)

幼稚な口論を議論と呼ぶ習慣にはうんざりしている。私自身が相手を叩き潰すようなやり方をしてきたから、余計に気分が悪い。もちろん私は相手を直接的に否定する言い方をしなかったし、否定しているつもりがなかった。たちが悪い。

相手をわざわざ「叩き潰してやる」なんて悪趣味であると同時に、そんなに自分が正しいと証明して回らねば気がすまないのか。その場の喧嘩には勝つかも知れないが、いちいち人目なんか気にしている段階でバカバカしい。自分の危険だとか現実的に損失がある訳でもあるまいし。どうでもいいことだし、どうでもいい人なのだ。その人に私の正しさを思い知らせたところで何になるだろうか。

もっと私にはエネルギーを使うべき事が本当にたくさんある。どれも楽なものでもない。

生きて行くにはスルースキルが酷く重要なのだ。
やっと少しわかった。