生きたいように生きる 2018/11/18 20:59:18
先日誕生日を迎えた。
年齢的に、苦しい人生を生きてきた人が、無理できなくなってくる年代である。
親友と思っていた人の自殺した年齢を少し前に超えたのだが、その年齢をただぼんやりと迎える訳に行かなかった。
その頃、わたしはレイプ未遂の被害でPTSDの状態になって無茶苦茶な状態だった。「狂っていた」と言って過言ではないと思う。
PTSDはその1つでもなければ、周囲に理解されるものでもない。セカンドレイプなんかどれほど受ける羽目になったか。
PTSDは医療の対象にはなりにくく、警察が何かしらしてくれるには未遂ではダメだし、わたしの状況では立証がかなり困難であった。
英語であればすべて「rape」なのに、どうして日本ではたくさんのランク付けをするのか。未遂をなんというか忘れたが、わたしはハッキリ拒絶していたのに無理に結構なことをされた。外国の友人達からは警察に通報しろ、大丈夫か、なんというア○ホール野郎だ、といった反応が帰ってきて、今も思い出すと慰められる。
当然トラウマケアはあるんだろうと言われたが、「ない」と言うのがほとんど正解である。大金がなければ被害者、サバイバーから先へ進む助けも得られないのだ。
ともあれ、わたしは生き残ったのだ。親友の歳を超えた……
特に義理立てとか言うことはないが、この時期は平静ではいられない。季節的に鬱状態になる頃でもあるし、自分の誕生日をまともに祝われたこともごく最近までなかったし、思い詰めたりが多いのである。
そして2年前は自分が人間であることに気づいた。実感できるようになったのだ。それまで自分は無機物の道具とかゴミクズだとしか認識しようがなかった。何十年もそうだったので今も負担の強い状態で参って来るとその感覚に戻る。それを口にするとどうも人間というのは凄まじい嫌悪感を抱くらしく、かなり相手や状況を選んでも結局無茶苦茶に叱責やら食らう。なぜまだ何も話していないのに袋叩きにあうのかわたしは理解できないのだが。聞きたくないのであればそう言うべきではないか。わたしが悪いとかなんとか屁理屈でさらに痛めつけて何が面白いのか。
昨年は誕生日の辺りで対人攻撃にあって精神的にノックアウトされて入院していたが、入院中に、ずっと必要だったことを理解した。わたしは他人に向けていつも言い訳やら考えて行動していた。そのように育てられたからであるが、普通、他人のことはまさに他人事であって、かなりのことでもどうだっていいのである。他人の顔色を伺わねばならなかったのは、わたしのいる状況、環境がおかしいのだ。わたしには「境界」が全く育っていなかった。自分と他者は別の人生を生きていて、ハッキリ言えば特にはわたしがどうでも知っったことではないし、逆もそうなのだ。
だからいちいち言い訳なんか必要なかった。それに気づけたのはたった1人だけわたしをなにも否定せず、甘やかしてくれ、優しくしてくれ続けたからであった。彼女がわたしをさらに人間にしてくれたのである。
その気付きがわたしをまた大きく変えて行くが、少しそれどころではない状況になっていた。またもPTSDである。
だいぶ自分で対処を探ることができはしたし、良くも悪くも放置されているので試行錯誤が邪魔なくできていた。
9月からまたブチ壊され、一体自分は何がどうしてこうなるのかいよいよ参っていた。せっかく見つけた方法で順調に体力も付きだしていたが、寝込んで元より悪化した(体力的には)。
今月まで降下を続けてきたが、わたしは主体的に自分の人生を生きることにした。自分のために自分の人生を自分が主人公として生きることは、かなりの逆風があるがこれまで他人のことばかり考えて機嫌を取って自分のことを優先するどころではなかった。自分のためにそうしてきたのだが、「受け身」であって、わたしは何も選んでいない。来たことに対処するので大わらわで時間がすぎる。
そうして死んでいった人達ばかりであった。あるいはわたしが捨てられ見限られる。とんでもない形で信頼を裏切られる。毎回自分を何と言うバカな世間知らずのお人好しかと嫌悪してきた。どうして学習できないのか。
主体的に生きてないからだ。わたしはわたしの人生なんか持っていなかった。なにも持っていなかった。重い障害で助けてもらえないと生きていけないが、それはわたしがなにか選んではならないという意味ではないはずだ。したいことなんかなかった。自分にはそんな権利はないからであった。感情も死んでいた。普通のまともな生活も知らないし、全く想像できない。去年数人の「普通」に暮らす人達と初めてガッツリした関わりを持てるまでは、本当に人間についてもなにも知らなかった。
その人達とも結局うまく行かなかった。行政から認められてやってくる支援者ともまともな関係にならない。
訪問看護師とも耐えられなくなり、初めて「自分が嫌だし自分の何かを良くするのにトータルで助けにならない、むしろ具合悪くなる」という理由から辞めてもらった。そんな大それた決断を自分でして自分で結果を引き受ける事にしたのは、人生で初めてだった。
直後、わたしは心身の調子を更にくずした。そして一体何だったのかと思った。彼女とも悪いスタートではなかったのに。
わたしだけの理由ではないはずだが、奇妙な事に気づいた。
休めない休めないといって助けてくれる人や方法を考えて来たが、なにも休みたきゃ勝手に休んで「誰がなんと言おうと」寝てたって問題なんかないじゃないか。
わたしは幼少時から常に恐怖感に駆られている。万全の備えをしようとしてきたのだ。できる訳がない。
必ず不安や「敵」がなければ生きられなくなっていたのだ。無理に自分を動かすために、生き延びるために不快なこと不本意なことも耐えて遂行するように。それには叩き潰す対象が必要だった。「仮想敵国」というのを作り上げるのと完全に同じことだ。
敵などいなかったのだ。いるかも知れないがいつもいつも相手を疑っていたらその相手を敵に育ててしまう。不安材料を探しすぎるので、解決しなければならない懸案事項を自分で生み出してしまう。それで休まる訳はない。
敵も不安材料も、なにもわざわざ見つけ出して対処しなくても大丈夫だ。これまでメチャクチャな人生・生活で今でもなにもできやしないが、死んでないじゃないか。
あら捜ししてわたしを罰する人間は、まあ、親ほど凄いのはさすがにいないし、親の方からは安全圏にいるではないか……。
もう何かを自分のせいでどうなったとか、自分が悪いからどうだとか、そんな思考をやめることにした(因果応報とか真面目に信じてた自分が信じられない)。そして、自分の人生の邪魔をする人や事柄に時間やエネルギーなんか割いてる余裕なんかないのだ。そんなことして遊んでやる時間なんかわたしには残されていない。そもそもそんな義理もない。
わたしは誕生日に、「生きたいように生きる1日目こんにちは」と挨拶し宣言した。
生き方を変えることが簡単ではない事実には、早速ブチ当たっている。
わたしが悪い訳でもないし、というかもう誰が悪いとかどうでもいいので、先に進むためにはどうしたらいいかを考えている。3日2晩泣き明かしたり食べられずにいる。やっとトラウマを思い切り刺激されたからだというところまでたどり着いた。
さて、どうするのがわたしにとって、楽しい結果になりそうだろうか。