投票でキックオフ
ブログどころではない状況、状態に陥ってだいぶ経過してしまった。
半年の間、私は同じ課題で苦しんでいる。
進捗はあった。
現在私のサポートを買って出ている人達はほとんど完全に自らの意思で来てくれ、自分で考えて行動してくれる。
こういった流れになり始めたのは、先日の参院選からだと思う。
私は2012年、初めて単回性の対人トラウマを受け、PTSD状態になった。その後連続してとんでもない目にあったため悪化は酷かった。
まず直後から寝込み、食べられなくなり、いきなり1か月しないうちに10kgだったか体重が落ちてしまい、半年を待たずして30kgは失った。ひょろひょろになってしまった。
それまでできていたことなど現在では記憶にもない。私は破壊された。生きながら殺された。
7年半経つが、地獄でしかない。色々あったものの、結局瀕死状態に陥るのだ。
どんなに理解しようと頑張ってくれても、私でない人は私でない以上、私の苦痛はわからない。それは当たり前なのだが、やっときちんと認めることが可能になった。
前記事は1月に書いているが、この頃から助けに加わってくれている友人には大いに世話になっている。私が今自分の主体性を奪還しつつあるのは彼に負うところが一番大きい。
この7〜8年は投票どころではなかった。私はテレビなども地デジ化の折に失ったし、情報といえば選挙の直前に配られる公報しかなかったが、読むこともできなくなっている。あんな字も小さくフォーマットも揃っていない読みづらい媒体では、障害者、病人、年寄りが読めるものではない。今回の参院選からやっと公式サイトができたが、外国から見ればとんでもなく遅れている。
私はTwitterだけは続けていた(SNSも続ける体力がないのだ)。ある程度は情報に触れることもできていたが、今月16日に見たものに怒りを覚えた。
マトモに働く頭と身体を持つ各位は知っていたことであるが、政権与党が改憲を明確に掲げていたことだった。以前TVから動画を作りシェアしてくれたツイートで、彼らが本気で国民の基本的人権を奪おうと考えていることは知っていた。それと改憲が繋がった。
私は一般的に見ればなんの生産性もない障害者である。現在の日本では私のようなものは死ぬことで貢献しろと考えられていると言って差し支えない。憲法を改変されたら真っ先に殺されることであろう。
止めなければと思った。投票が義務とかそんなことは忘れていた。忘れている人が多そうではあるが、私は義務以外の行動を取った記憶がもうないのだ。大昔には多少あった時期もあるが、過去のことである。私が止めたい、止めようと思った。
自分の内側からこみ上げた思いに動かされたということだが、私からは主体性など奪い尽くされて長く経っていた。公的支援によってすっかり虐げられ慣れてしまったのである。元々親から強烈な支配を受けていたので容易く組み敷かれてしまっていた。弱っている人間を脅して黙らせ洗脳するなど難しいことではないのだ。技術的には私でも可能である。人を破壊することはそんなに難しくはない。自分がしていることに自覚があり、良識や良心が欠けていなければ。
私も自分の能力を悪用して生きていることに長く気づけなかった。自分が苦しむことにしかならないというのに、自分のサバイバルのために誤用していたのである。どれほどの人を傷つけたのだろう。
私は間違いなく「悪意の人間」だった。何でも悪く受け取り、自己否定感のために激しく偏った認知で生きていた。人間はすべて敵だったし、世界に安全なところなど一切なく、疑心暗鬼と恐怖心が自分を守るためのアイテムだった。
この生き方には主体性など欠片もない。受け身で、起きたことにその場しのぎで対処するので精一杯なのだ。私には何がしたいとか何が欲しいとか何が好きだとかいったものはなかった。抗っているつもりでも、実際には誰か/何かに隷属していた。「さもなければ死ぬ」からで、自分自身が常に人質であった。つまり恐怖心に振り回されていたのだ。怯えていればなんだって悪い兆しに思える。悪く受け取ってしまう。
しかも私は立場上、本当に四方八方から否定されまくる。ここは私の気のせいではなく、同じ目にあった証人が山のようにいる。悪意ばかりを受け続けていれば悪意しか育たない。当たり前のことである。
完全に自分などない状態だった。何もかもを恐れ憎みすっかりいじけていたが、そうは振る舞えない。過剰同調をこじらせて多重人格の診断一歩手前である。解離性障害ではあるはずだ。
うつなど何でも、自分の感情を押し殺さねばならない状態であった人は「〜したい」といったことでなく、まず怒りを覚える。「もうこれは嫌だ」という思いである。私もそこから主体性を持てたのである。子どもの発達でもまずは嫌がることを始め、それが主体性自発性となって行く。私は親からその段階を容赦なく踏みつぶされている。ともあれ、投票「しないといけない」とか「させてくれない」などでなく「どうしてもしたいがどうすればできるのだ?」という思いに変わったのだった。
そういうストレートな思いで訴えかけたら何人も助けてくれた。調べてもらったり電話で選挙管理委員会に聞いてくれたりなどした。どうにか付き添いと一緒に行って投票してきた。
これは美談などではない。こんなに手間をかけねば病人、障害者などが投票できないなどもってのほかである。投票させたくないのではないだろうか。だから今回は様々の当事者が立候補しているところに票を投じた。そして彼らは議席を取った。何と言う革命かと思う。本当は浮かれたくもあるのだが、引いた目で見れば日本のお粗末さがあからさまにすぎるのだった。
私個人にとって、これほど意義のある門出もないなとは思う。意義というか非常に象徴的だ。「自分のしたいことをして生きる」最初の行動が国の先を変える選挙への久方ぶりの参加だった。
私は生き直す。
私の人生で私の生活で、私の生命なのに、他人が決めて他人の評価ですぐ振り回される。
その生き方をどうにか放棄したい。