生きたいように

NIKITAは発達障害。考えるために色んなことを書き出したけど脱思考がいいなあ。そんな感じ。

なんとなく 2019/01/08 18:04:29

落書きのつもりで書こうかな。

 

……で悩むのが私であった。

じゃあいくらか有意義そうなことを考えてみようか。

 

「生きたいように」というブログタイトルを決めた時は、「生きたいように生きる」なんてことはまるで想像できていなかった。言葉の意味はまあわかる。頭ではこういうことなのだろうということも一応わかるというか、説明はできたであろう。理解なんかしていなくたって言葉を組み立てればそれなりに格好がついてしまうものだ。

詭弁とかいう。いちいち瞬時にその場を切り抜けねばならなかった私が身につけた生存術である。それができるというのは事実として能力がある、高いのであって、卑下することも特にないな。わざわざ喧伝することでもないけど、使いみちはあるはずだ。こうやって今みたいに言葉で気持ちを立て直して行くよう、コントロールすることも詭弁ができるからできるのである。

 

もちろん「詭弁」はいいものではない。試しに検索してみたら凄まじく悪い意味に解釈されている(苦笑)

ここで私が「できる」とした「詭弁」は大したことではなくて、

 

  1. 道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論。こじつけ。

 

出典 小学館 デジタル大辞泉

 

この程度の意味合いである。色々長たらしい解説があるのを見て、何か他の語彙を選んだほうがいいかも知れないと苦笑いした。哲学を学ぶ人から色んな突っ込みが入りそうだ。

さしずめ、思いつきからこじつけをしておいて成立しそうな根拠をあとから考え出すというか思いつくということだ。

 

悪用せず良いことに活かせばいいし、使うべきでないこと・場面では使わない。私にはそれが難しいが(あまり意識的に生きていないから……)、そういう使い方(使わないこと)に気づくことができるようになったことは嬉しい。少しはましな生き方に近づけているのではないだろうか……。

 

で、生きたいように生きるとはどういうことかやっと理解し始めたらしい、というのが本題である。

 

前記事がそういう話であった。

11月に誕生日を迎えたが、年齢を数える日が近づくと「残り時間」をとても意識するようになったのである。生まれてから何十年も、自分の年齢など気にしたことはなかったのだが、残り時間がそんなにないかも知れないと気づいてしまえばそうも行かない。

 

ずっと「自分の意思」は抑えつけていた。主体性だの、主導権だの、本当に一切放棄してきた。自分が主体となって感じたり選んだりすることは、私には命をかけるくらい勇気がいるものなので、そうそうできない。

あまりにも本当にそういうことが発想できないので、先日も人に驚かれたし自分でもかなり驚いた。これ自体「生きたいように」つまり「自分のための自分の意思を持って」生き始めたことの証である。

10月くらいまでなら、私は驚けなかった。「驚きを感じなかった」のだ。驚くということはかなり危険なことだからだろう。他のことなんか吹っ飛んでしまい、1つのことで動揺している状態である。サバイバル・切り抜けの連続だけが人生だった私にはそんなことは危なくてあまりできない。

また、驚くというのは「相手によっては足元をすくうチャンス」であるから、私にはその意味でも危険と認識してしまうことなのだ。動揺しているのだから虚をつきやすいし、「大したことではなく驚くべきことでもないのに動揺している」と嘲笑のタネになる。

嘲笑だの言うと「それがどうした」と思うかも知れないのだが、嘲笑とか見下すことを「悪」としない日本にあっては結構なことなのだ。

恥や屈辱感というのは、とても人の力を奪う。生きるのに必要不可欠な勇気をくじいてしまう。自尊心を壊される。自尊心が育っている人にはもしかしたらよくわからないかも知れない。

笑われないように、怒られないように、自分のせいで迷惑かけないように……。日本人はそれが基本になっている。人から良い評価をされることが全てに優先する大事なのだ。「みっともない」なんていうような言葉がたくさんある。

罪悪感や後ろめたさでいっぱいの人が多いし、その感覚に耐えられず、自分がそれを与えて人を支配する側に回ってしまうのは、残念ながら非常にありふれたことである。そしてそうなった人は何かに怒ったりして声を上げた人などを「何をまたくだらないことで大袈裟に騒ぐんだ」と笑いものにする。自分はそうやって自分のためにちゃんと怒れないのである。怒るときは何か理由を自分の外に見出す。主語が自分でなく世間とか常識とか、そういった曖昧なもの、確かめようにないものになる。逃げが打てるのだ。そして自分は責任をかなり軽くできる。

そうでないと、笑いものにされる、あるいは「社会的に殺される」などとおびえているのだ。また、マウントしか戦い方を知らないというのも物凄くよくある。意見1つ言いたいだけなのに、めちゃくちゃに相手を蔑みこき下ろし罵倒しないとできない。言い返されるのが怖いのだ。もしも自分が間違っていたら、大変な失態なのだ。万一謝罪せねばならない事態になんかなったら生きていけない。だから相手の勇気は徹底的に奪っておかなければならない。言い返せないようにしておいて、「何も言い返せないから俺の勝ち」なんて、子どものケンカよりたちが悪い。相手が何を弱みとしていて、何を言えば効果的にくじけさせられるか、大体わかっているのである。意見をいうのに、相手を罵る必要など初めからないし、言い返されるのは話し合おうとしているのだ、とは受け止められない。勝負でもないと気づかない。どちらが正しいかなんてどうでもいいことである。一緒に出した結論で少しでもいい方にことが進められるのが「意見を言う」目的である。相手を叩きのめしたりやっつけたり自分がヒーローになることではない。

 

長くなったが、つまり私はそういう生き方をしていたのだと思う。

 

私は人生開始から今もずっと「支配を受ける者」としてしか生きていない。そうでない状態や関係がわからないのである。知らないだけのことなのだが、相手がいないと学習できないことなためか、なかなか「そうでないもの」をつかむことが一気にはできない。つまり常に上下関係の下の方を受け持っているので、嘲笑だの酷い見下しだのを受ける側である。常に生きる力や勇気を奪われ続けて来ているということだ。

だから、私は感覚が非常に刹那的である。出来事と出来事がみんな独立してしまっていて、すべて「とりあえずどうにか切り抜けねばならないこと」であり、次のエピソードが起きたらそれに全力になる。そして何も残らない。全部「せん滅すべき厄介なこと、敵」であり、済んだら覚えてなどいられない、耐えられないのだ。何もかも「てこずって大変だったトラブル」としか思えない。思い出したいことがないのは当たり前だ。

 

積み重ねるということができない。それがどれほど人生を「困難なだけでちっともいいことのないもの」にしてきたか、人生を、自分をどれほど損なって来たか、わからない。

 

そこからとにかく逃げ出したかったし、ましな生き方ができるものならしたかったが、それがどういうものか見当もつかなかった。

 

『自分が選ぶこと』というのは、「義務」「責任」というよりまずは「権利」「当然して良いこと」である。それが重たい言い方なら、選択肢としていつも必ず与えられるものである。それが当たり前に許されるのが人生だとは知らなかった。生きていていいし、そうでなくてもいいし(私はそういう考えである。それは別途話すべきであろうが)、その生き方もどのようにしても実は良いのだ。「つらければこうするといいよ」は、「つらいのだろう、ならこうしなさい、さもないとずっと苦しいんだぞ」と脅す言葉ではなかった。逆である。解放してあげたくて何とか言ってくれていた、受け取ってもいいし無理ならその時は脇に置いといてもいいよ、という、優しいプレゼントだったのだ。そうでない言葉を放ってしまうのは、語彙がないだけだったりもする。何より私はいつも世界中が敵しかない戦場であったし、抜けた訳でもないので、誰にも少しでも脅威を感じるものがあれば、怖くて噛みついてしまう。相手はそれでは強く言うしかないのだ。私は相手が言い返せないほど反論して論破して、こちらが正しいと双方が認めなければならないような言論をしてしまってきた。何を言っても全部封じられるのでは、それこそ相手が怖いだろうし、怖くなくても相当に負担なはずだ。論理が破綻しないだけで、根本的な部分がおかしいのである。私自身が自分を修正してきた過程で、そういう相手と会話するのにしんどい思いをしばしばしている。相手が気づくまで根気よく待つことなど、私はできはしないのに、そうしてくれようとした人達ばかりだったではないか。敵なんか少ししかいなかったのだ。数えられるほどしかいないではないか。

 

そうしてみると、私はいもしない支配者に怯え続けて来たことになる。過去には長く実際にいたし、たちの悪い数人に出会って往生したこともあるが、「そうでない」人達が多かったのだ。申し訳なさも激しいが、私は暮れから感謝ができる人間になった。

 

本当にありがとう。私は生き方を少しずつ、変えることを始められました。

 

というわけで、最近はよく泣く羽目になるのであった。コレが悲しいなのか、コレが嬉しいなのか、といった具合だ。

 

しかし、短く書けるようになれる日は来るんだろうか。