生きたいように

NIKITAは発達障害。考えるために色んなことを書き出したけど脱思考がいいなあ。そんな感じ。

他人からの破壊のあと 2017/02/18 7:57-9:07

今聞いて驚きとともに思い出したことがある。

※かなり直接的で過激な内容になっているため、最初のほうで何の話題か見たら、それで読むのをやめたほうが良い人が多いと思われる。心当たりがある、該当する人は読まないことを強くすすめる。私は治療法として書いているので悪しからず。

 

驚いたのは現在のことについてのためあとから言おうかと思う。

 

書いたことなのか、書いたならどのくらいまで書いたかさえ思い出せない状態なので改めて書く(全く話題にしていないとは思えないのだけど)。

2014年1月末、私は性被害を受けた。何でも良いからうまいこと性交渉に持ち込もうとして失敗されたのである。

 

具体的に思い出し続けたりしているのではないが、私はいつからか、主に眠ろうとした時に、ずっと膣内に何かを挿入されたままのような違和感を覚えるようになっている。

実際には数回、キスと着衣のままの抱擁を強要されたまでだが、これでも十分、私は「破壊」された。

今、ただ、「自分がそういう被害を受けた事実」までを思い出すきっかけがあって、それでも震えと吐き気がおさまらない。

 

私は性交渉自体の経験はあるし、大学時代、ふざけて倒錯的なセックスもしていた。本当にお遊びの、いわゆるソフトSMに入るか入らないか、くらいのものだ。が、それで擬似的に、押さえつけられたり、縛り上げられくくりつけられたりして、口など塞がれて強引にことを進められたらどういう感触がするか、くらいは知っている。本気で嫌なことはされたりしていなかったし、私も何も我慢するようなことはなかった。本当に、もしSM愛好者が見たら張り倒されそうな軽い遊びだ。彼氏は私を尊重して丁寧にした。何か特別なことをする時に、私に意思を確認しないことがあるとすれば、それが嫌なことならやめさせたし、事前に言ってしまうと意味のなくなる悪ふざけ程度で、問題なんかなかった。

 

………そういう趣味、と言えるほどでもない。

 

ずっとしつこく挿入を続けられている感じがしてならない。気分が悪い。吐き気と別に、感触も変だし、あの日いくらやめてくださいと言っても聞き入れられなかったせいで「性的なことを強制的にされる」ことが、私には止められないことになってしまった。

そもそもが私に意思なんかあることを認められた経験自体ひどく少ない。そのためか、ことこの記憶で起きるこの現象、感覚に対して、やめてくれという言葉を自分のものとして思ったりすると、されることは酷くなる。

 

ほら。こうやって書き出して何とかしようとしているのが本当に気に食わないのだろう………。

 

耐えられないようなレベルのことはおさまって来た。

もう震えていないし、パニック状態でもない。

 

実際にされていないことは私が想像力で膨らませたことだと思うけれど、さて、自動的に瞬間的に膣内が満たされた感じがするのは「いつの間にかなくなる」ことの気がする。

相手にせずに済むならここまで。どうやっても強烈な感じがしてダメなら、少し考えがある。その時はまた更新するかも知れない。

 

今日驚いたのは「強姦罪」についての改正が今なされようとしている、ということを初めて知ったからだ。それも3年も前から審議されてるとか。

ウソだろうと思った。私はつい先日、自分の被害がどういう風になるか、刑罰などを調べたばかりなのだが、全くそういう記載を見ることはなかった。検索したらふざけた内容だった。どこが重罰だ。ほとんど何も変わっていない。非親告罪化、性別の撤廃。それと罪名が変わる。それだけ。

 

ふざけるな。

自己破壊について深掘りした 2017/02/13 15:23-18:16

最近気苦労がひどくて参っているがちょっと合間となったので休もう、1回寝ようとした。突然過去のことが襲って来て苦しくなったからだ。

 

が、いきなり玄関チャイム音がした。1回だけ。ピリピリして寝るどころではなくなった。

 

チャイムがこうして影響するのは元々、予定にないことが起きると混乱してあわてふためくからで、私にはそもそも怖いものではあった。が、怖いと言っても緊張が酷く強いくらいだったと言える。「パニック障害」と言って怖いことがあまりに度を越したものだった、そういう経験があるという場合、恐怖感と主に呼吸の強い苦しさが出るものがあるが、私はずいぶん前からそういう現象が起きるようになっていたので、一般的な苦手意識からすると結構キツいものだったかも知れないが、それでも今ほどキツいものであったか忘れた。

 

一度この「病気」を自分で消してしまえたのだ。10年以上どうにもならない重症者だったのだが、消した時はわけなかった。

 

偶然その頃の話で苦しくなったので寝るところだった。

 

2014年1月半ばにTwitterでだけ繋がりのあった友人が消息を絶って、自殺したのではないかとも受け取れるメッセージを残していた。私は死にそうな状態だった。見兼ねた共通の友人(当時)とその彼氏が、私の力になろうとした。その月末、私は別の知り合いにレイプされそうになった。

 

上記の一段落でも結構な状態だったのだと今気づいたが、私がいきなり思い出して苦しくなったのはその2人と酷い形でたもとを分かつ結果になったことだった。

 

夏くらいまではつきあいが続いたが、私が別のところで書き込みしたことが彼らからすると酷いことで、私に問いただすか何かした時の私の対応がメチャクチャだったのが、結局見限られる結果となって行ったのだ。が、私は今でも納得できない。彼女の言うことも全然意味もスジも通っていないし、メチャクチャだった。私についてメチャクチャなことを言っていた。していないことも言えば、迷惑をかけないために決めたルールを私が遵守したことは記憶していないし、そんなルールがあったこと自体忘れたらしい。2人でだけしたやり取りも一体何を言っているのか理解不能だった。

 

精一杯しようとしたこと自体はわからないではないが、とてもグロテスクな終焉だった。

 

男性は虐待を受けて育っているが詳しくは知らない。私が虐待されて育ち、自分の発達障害の特徴をつかみきれずにほとんど誰ともうまく行かず、騙されて2回、その時すぐなら刑事告訴ができた可能性が高い攻撃を受け、親友を2度自殺で喪い、絶望しかけて、というか発狂状態で出会った友人に救われかけたがやはり失い、という状態が彼と比較できるものかは知らないが、私達は全部間違えたのだ。専門家がどうなのか、今の私は疑いを持っているが、少なくとも彼らが私の何かバックアップができるのかどうか見極めることもできなかった。元看護師の寝たきりの彼女には、本人にも私からも過信があった。いわゆるPTSD、その急性期のASD(acute stress disorderの略で、自閉症スペクトラムのASDと略が同じなので紛らわしいが、「急性期ストレス障害」である。PTSDはpost traumatic stress disorder「心的外傷後ストレス障害」)について、皆で彼女は通常よりもよくわかるだろう、と。

 

彼女は今も「人助け」に余念がないのだろうか。絶対に自分が正しいと信じて疑わなかったが、何がおかしいって、私の「裏切り」にずいぶんショックを受けたようなことを言っていたが、全然そんな様子にはどういう見方をしても見えなかった。虚勢を張る、という様子には見えなかった。Twitterで、私はしばらく怖くてブロックできなかったが、ブロック後、突然、別口から世話を焼こうとしてメッセージを飛ばして来た。意味がわからない。私が反省でもしたと思ったのだろうか。「貴女は反省を学ぶ必要があります」と言っていたから。何を言っているのだ。さすがにプライバシーは出せないから詳しく言っていないが、あなたは自分が大丈夫じゃないことがわからないのか?人を上から「助けた」気になって感謝されないと我慢ならないのだと、気づけないのか?あなたから逃げるためにTwitterをやめた同病の人たちが一定数居ると、知らないのだろうか。

SNSとブログの区別もできない。私はどこにも誰にも言いようがないから直後に彼女が知らないはずのブログで、当然、誰だかわからないように、なんの話だかもよくわからないようにして吐き出したら、削除しろと言ってきた。どうやってそのブログを見つけたかわからないと言う。

SNSは「友達」が見るが、ブログなどほとんど見られることはない。その辺りもSNSで最初に配慮を凄まじく欠いたのは向こうで、私は激怒した。ブログを同じもので、私が書き方に細心の注意を払っていることは理解できずする気もなく、……何を反省しろと言いたいのか。

 

彼女が完全に関わるのをやめる宣言をしてきた時、私は信用できなかった。が、やっと解放されたのだとは思った。大嫌い、と言っていたが、私はその何か月も前から嫌いを通り越したよくわからない不気味さにおののいていた。

 

男性の方はたいそう恐ろしい感じのする言葉でメッセージを送ってきてすぐに関わるのをやめていたのだけど、メッセージアプリではブロックしてくれなくて、これも怖くてたまらなかった。私の個人情報をほぼ全部知っていたから、私からアクションが起こせなかった。

 

ずっと、思い出すと怖かったりした。怒りもある。全然私のことをわからないと言っていたが私だって理解できなかった。

 

その後から私は99パーセント人間不信になった。100に行かないのは私が自立していないからだったと思うが、私は「敵意のない相手から悪意を見い出す」ようになった。

2016年に来未炳吾に手を貸してもらう気になったのは、その後手伝ってくれようとした人達を私が振り回して遠ざけまくっていたからで、一度はやめると言われた時、「あなたは敵意のない相手から悪意を見い出す状態ですので」それではできないのだと言われた。

ブログを書くと良いと言われた時散々渋ったが、私は自分でも何故そんなに警戒心が強かったかわからなかった。身バレ(身内にバレること)が怖いんですか、そんなの偽名使えばいいじゃないですかと言われたけど、私は明確な返事ができなかった。

 

このせいだったのだ……。

 

今は詳しく書いている間、リアルに吐きそうになっていた。が、思い出、としては、悲しく思うようになった。

何を言われたりされたりしたか伝わるとは思えないから、私がとても身勝手で反省すべきだという感想を持たれそうだなとは思う。

 

私は2人と関わっていた間の4月、自分で「パニック障害」を消失させた。ずっと独りの私を対等に扱い心配してもらえるから、それが欲しくてこの現象が起きて止まないのだと気づいたら、すぐに消えた。

 

そんなものなのだと思うと色々と悲しく思う。それだけでは全然私の心は何かが済んだとは感じていない。空虚感と主治医が言っていたけど私は欠落感とか欠乏症とかいう感じがしている。埋めないと、満たさないと、ただ苦しいしオロオロするだけの自分に戻る。

 

その埋めたり満たしたりするのは自分だと、理屈ではそれは大昔から知っている。だけどわかっていないことも痛感している。今の体調不良は酷い。やっとそれでわかって来たのが、自分で自分を破壊して来たことで、努力だの成果だの認められたいだけのことだった。

なんて虚しい話だろう。そりゃ、きっと、大事な誰かと色んなことは分かち合えた方が良いんだろうと思うが、それが目的で自分を破壊するのでは本末転倒ではないか。自分で自分を壊しながら助けてくれないとか感謝されないとか詫びがないとか満たしてくれないとか、それじゃ、私の両親、特に母と同じで、毒を撒き散らすだけで逃げられるに決まっている。過労死、過労自殺だって、私が雇われていたらしていたのかも知れない。

 

私はまず、自分に詫びようと思う。

よくこの歳まで保ってくれた。あんなに何度も自殺図ったり無茶苦茶ばかりしてボロボロにして来たのに。

自分に一番酷いことをして来たのは私だから、まず、私は自分が嬉しいことや楽しい気持ちになることや、そういうことができるように色々と努力しよう。理解されようとか思ってたら一生なんかすぐ終わってしまうだろう。私が幸福になるのに、たくさんクリアしなければならない人生の障害物はあるのだ。今、人のために時間も労力も使えない。他人の犠牲って文字通り犠牲になってしまう。それはできない相談だ。余力のある他の人をあたってくれ。私はリアルに健康を思い切り損ねている。身体はこれ以上保たない。

 

既に、私は他人からも「殺されて」いる。まだ半死半生なのだ。そっちについては自分で清算する必要もある。

 

まだ何もしてない。まだ本当にしたいことは何もしていない。今死んだら困るのだ。

孤独と自己破壊 2017/02/13 1:24-3:00

私は自分の特徴のひとつとして発達障害を位置づけている。だから当事者達の会話には辟易する。アイデンティティ化しているのだ。発達障害が自分だと思っている。発達障害である自分が自分だと思っている。自分がまず○○さんであることはどうでもいいのだろうか。自分がまず人間であることも忘れて発達障害当事者という生物であるように思っているみたいで、私はついて行けない……。

 

私はこのブログの一言説明のようなところに発達障害であることを書いているが、そんなに重きをおいているわけではない。発達障害であることは事実だし、それで苦労していないとはとても言えないが、例えば発達障害の知識を本などで漁ることは割合すぐに放り出してしまった。

自分に何らかの障害となるものがあるというのは19歳になる頃気づいたのだが、それで障害者に関する法律が載っている本(政府か何かの公式のもので特に解説などないものと、ずっとあとになってからは人権擁護団体が出版したものも手に取った)を見て、法律を作った奴を張り倒したくなったのを覚えている。人間であることは一緒だし、権利は同等なはずなのに、どう読んでも見下しがあり、どう読んでも当事者にばかり負担が強いられ、どう読んでも当事者は苦労のわりにまるで報われない、まるでつり合わないと感じたからだ。

その感覚が10年以上は先にあったためと、カウンセラーが気づくよう仕向けてくれたのが大体冒頭部分に書いたことだ。

 

私はアスペルガーの診断を受けて、まもなく絶望した。自殺どころか、横になって指一本動かせない状態になったことをよく覚えている。というかそれしか記憶にない。

絶望した理由は、発達障害が脳の固定的な状態であり、それは生きるのに障害となるもので、いくら努力しても大して何か変わったりはせず、だから「定型発達」つまり典型的な発達をした脳で生まれた人と同等なことができるようにはなれない、という説明をされたことだ。

もう少し詳しく言うと、それでは私の実家連中にとっては完全に生きている理由のない、エサを与えて面倒を見る価値は一切ない不良品だという価値観があったからだ。努力して何であろうとできるようになれないなら存在価値はない。それは本当に無茶苦茶な内容に及んだ。

「子どもに人権があるわけないだろう」と父は言った。両親とも私が何度も死にかけたのに、救急に通報するとか、その前に異変に気づくほど私をきちんと見るとか、具合が悪い時に看病するとか、そういった感覚はずっと身につかなかった。生活するすべも私にはわからない。あとで医師が怒ったほど具合が悪いのに無理に登校や出勤を強いられたが、何であろうと、彼らには私が生きるのに普通に必要な通常の知識は何も伝える気がなかった。

 

私が彼らのために何かした記憶はあるが、してもらった記憶はない(養われたとか食事を出されたくらいは覚えているが……)。今なら児童相談所の介入対象であるらしい。

 

ともあれ、私は自分の価値がゼロからマイナスになって、親から廃棄処分された。大学のために独り暮らしを試みたが全く何もできず、断念して実家に帰ろうと相談の電話をした。今も、彼(父)が一体何を怒っていたのか全くわからない。何を言っているのか意味がわからないことを昔からよく言う(キレるのが多いが普通のつもりらしい会話でも意味不明のことを言っていた)ことがあまりに多くて、「この人は宇宙人なんだ」と思って生きるようになっていた。

 

私独りが、モノで道具で不良品で、そんなモノが正式に不良品のお墨付きをもらって、自力で生きる力はなく、今後もその望みはない、それだからと面倒をみてくれる人はなく、私は殺されても文句が言えない。不良品でしかないモノをなぜ後生大事に持ち続けるだろう。棄てるだろう、邪魔だ。返品不可なら棄てるしかない。

 

どうやって動けるようになったのか全然覚えていないが、私が発達障害であることは私からは斜に構えて見る感覚なのだ。

定型発達だと何なのだろう。逆に発達障害だから何なのだ。「定型」側からしか、「健常」側からしか見ない、それが標準で目指すべき指標であると思っているばかりの知識とやらは、そんなに大事なのか。我々は劣っているから補助がいるのだろうか。おかしいから恩賜がいるのか?

違う、と感じたから本も何も放りなげたのだ。世界を良くする貢献ならできる範囲でするとかそんなの当たり前だけど、誰のためにするのだ。自分が幸福になれないことが保証されているというのに、そんなことしてる場合じゃない。自分が生きられることも担保されていないのに、それならまず自分を救わなくては、自分が死なないで生きられる安全安心がまずなくては、絶対にしくじる。自分も他人も皆不幸にする。

 

とても言えないで生きて来た。言語化する能力がなかったのは私の抵抗感が凄まじいからで、だから半端にしか書いたりして来れなかった。

 

まだ私はまともな親を望む子どもだ。どう虚勢を張ったってそうだ。誰もわかってくれない、私を理解して欲しい、助けて欲しい、そんなので頭がいっぱいなのだ。

 

自分を大事にすることは、教わらなければ普通、分かることではない。私は誘導してもらえたわけだけど、不幸が消えたということではない。彼は私が激しく行き詰ってどうにもならない叫びをあげた時、ただ、

 

「欠けている自分を完成させようとして、壊していただけだった」

 

と、そんなことをポイと言っていた。

私に宛てて言ったのかわからなかったが、まあそういうことをする人だ。

 

いつまでも親から受けた調教のままに自分を虐待し続ける義理はないのだが、私は努力してますよとアピールすることがメインの目的になってしまっていたのだ。わかって下さいと。これを心理学では承認欲求とかいう。ずいぶん偉そうな物言いだ。それがない人間がいるか。

 

私は無駄に無意味に孤独でいるのはもうごめんだ。

自叙伝というもの 2017/02/11 21:55ー22:57

昔、自伝的な小説を書いたことがある。私には自分の境遇、出来事をそのまま書くことが耐えられなかったので、かなりのフィクションにした。ファンタジーに近いのかも知れない。虚構の世界を作ってみたからだ。ほぼ実家のことを書いたのだが、ただ黙って渡されて読んでもそうとはわからないと思う。

 

今はそのこと、つまり書いたことがあるという事実を思い出しただけで息が苦しくなるし吐き気がする。それ程、現在は物事に対する感性の強い麻痺が解けたのだと考えられる。今同じ感覚では書けない。確か30歳くらいの頃に書いた気はするが、年齢が合っているか思いだせない。それよりその頃私は強固な麻痺状態だった。あるいはそういうことではないのかも知れない。書けるだけ書いたあと、私には一定の良い意味での変化があったにはあったからだ。

 

でも麻痺とか何か異常がなければあんなもの書けたとも思えない内容だったけど。

 

鈍くなければ生き延びることができたようには思えない。そのまま、私は40歳になる年を迎えた。それが昨年である。数年前、余計ややこしくなる出来事があったので、そのままずっとただ生きているだけの苦痛しかない人生を終えた可能性は大きい。自分が生きている気もしてはいなかったが。

 

私はずっと、モノで道具としか自分を認識できなかった。良くて、何か人間の下に属する下等生物みたいなモノだ。

人生が始まったと本当に感じ出したのは昨日今日の話だ。それだけではまともに生きるのは無理だ。モノでしかなかった過去がいきなり消えてくれはしない。自動的にも消えない。そもそも消えるというわけでもないようである。

 

ここで試験的にしているのはその小説執筆と同じことだ。今度は記憶の限りでの事実をそのままただ書いていくのだが、いきなり数記事、どうも逸れた。

 

なるべく早く入院することになったのでどうなるか色んな意味で不明なのだが、負担にならないよう気をつけつつ書いていく。

 

19時から眠れなくて、ちょっとメモした。

絶望 2017/02/08 2:23-6:04

絶望したことってあるだろうか。

そこまで行かなくても挫折ならあるかもね。

 

今でこそ助けがあって、心底もうダメだと思っても何とか立ち直るけど、ちょっと前まではいくらかつきあいが進むと見捨てられるような人間だった。というより今だって自力でなんか立ち直れないことのほうが多い。

 

言わないだけだ。死にたいとか何とか。言うことではなくなって来たからであって、それは結局のところ助けてもらえたからだ。来未だけじゃない。私はすごく酷い目にあったと思っているし、辛いのだってなくなったわけでも何でもない。まだ溺れかけていると思う。最終的に来未が力を貸してくれ続けているから、どうすればいいか教えてくれたから、それだけだ。やっと自殺とかする気がなくなったけど、自力だけじゃ到底無理だった。

 

さっきSNSで友達が「死にたいとか言う人は苦手で、辛いのはわかるが何故努力して何とかしようという気にならないのかわからない」といった内容のことを書いていたのを見て、吐きそうになっているし泣くのもやめられない。

 

そういう人たちを見ていて苛つくのはわかる。が、私も少し前までそんなものだった。本当に何年かさかのぼれば完全にそういう人間だった。

 

彼女は「本当にどうにもならない状況にいる人はしょうがない」という意味のことを言っているが、そんなことがそうそうわかるものだとは思わない。

 

とても辛い。あんな風に言われてしまうと。努力の仕方も、そもそも努力して変わったり変えたりできるものだとも、何も知る機会がなく、自分の状況や気持ちを長く表現する力もなかった私にいたのは、そういったことを言って去る人ばかりだったからだ。

 

大人になって少しはものが言えるようになって初めて自分が異常な育ち方をしたのだと指摘されて知った。それでも、じゃ、どうすればいいかなんて発想にはならなかった。努力している姿を見せて嘘っぱちの情をエサにされたことしかないから必死になって頑張ったけど、そこに甘えなんかなかったけど、人はされたことしか基本的にわからないしできないみたいで、まともな人間性が私には欠けていた。

 

いつも助けて欲しかった。努力してはいたけど色々間違えていた。ついこの間、本当に先々月とかそんな頃まで生きていたいなんて思えなかった。トラブルになるから言わない、言えないだけだった。だから今だって、数時間前だって、もう全部放り出してしまいたかったから寝てしまえ、と思って眠って起きたところだった。昨年かその前ならそのまま思いつめて自殺を図るところまで行っていても何の不思議もなかった。

 

彼女は周囲に自殺者の1人もいないんだろうか。大丈夫とたかをくくっていたらいなくなってしまった人も、いないんだろうか。死にたいと思ってもうどうしようもなくて他のことが何も、世界から消えてしまった経験もないのだろうか。本当にないのだろうか。自殺さえできないくらいの絶望もしたことないんだろうか。

 

あるから偉いわけでも何でもない。が、あったらあんな風に言えないと思うのはおかしいのか、私が甘いのか。

 

来未はその辺の経験はあるらしい。だがそういった話を打ち明けた私が生きているのはすごいと言った。普通なら死んじゃってる、そんなでも生きてるってすごいと。だが1回だ。その後、私は一度見放された。本人に確認したところ、ずいぶんな言いようで話を打ち切った癖に、向こうは「元の雑談仲間に戻ったつもり」だと言った。私はもうその時の自分の心情とかそんなことは思い出せないのだが、かなり悔やんで謝った。その返事が上記の括弧内で、今見ると、さすがにあんまりだなと思う。結局はどういうことだか説明されて、少ししてやり取りを再開したのだが、その時以降、私は凄まじく無理をした。こいつに見放されたら本当に終わりだと、危機感しかなかったからだ。

 

正直な話、来未とのやり取りはとてもキツくてしんどかったし、今も素直に言うと怖いから相談とかそういうことをしていないので、私は酷い強がりでしかない。今は話すことは滅多にないし、話せば結構なダメージを食らう。そういう人だ。平然とすごいことを言う。強烈な批判もすごい言葉でする。殺されるかと思ったことは何度でもある。自分は精神状態を察して言葉を選ぶことはしないと断言もずいぶん前にされた。おかしいと思ったことはおかしいと言うし聞かないほうが良いかなと思ったことは聞きません、と。

 

彼に優しいという形容をあてるのは違和感がすごい。気は、実はかなり遣っている。言葉は上記の意味ではたしかに選ばないが、ものすごく合わせることもできるのをよく知っている。人を殺すような言葉は使わない。無駄に煽るようなことも言わない。感情を基準にした話し方をするのではないと言うから、言葉の効果をそれこそ死ぬほどわかっているのだと思う。

 

そういう人と普通の人(感情を基準にして話す人)を比べては気の毒ではあるのだけど、敢えていうと、友人が放った言葉は人を殺しかねないものだったのだ……。私は死にそうになった。こんな時間まで起きていたくなかったが、自分を修復するのに必死だった。まだ苦しい。そのうえ眠ろうと思うと呼吸困難が起きるのも最近お馴染みになった。これは友達に関係ないけど困る。この辺りで切り上げて寝たいのに。

 

私がまともに友達だ友人だと呼べる人はほとんどいない。こんなことで引っ掛かって失うなんて嫌だ。下らないじゃないか。この程度のことで、いちいち死にそうになるなんて。彼女が悪いとかいうより、やはり過去のことでいまだに苦しんでいるのだ。もうどうしようもできない過ぎてしまったことで。もう、過ぎてしまったのだ。

 

親友と思っていた人は2012年3月に死んだ。彼女が残した書き込みなどから、絶対に自殺だ。問い合わせた親は死因には触れなかった。自宅の店で安くこき使って、殴って言うことを聞かせていた癖に美談ばかり。娘を喪って自分が可哀想でしかない、うんざりする手紙だった。死ぬに決まっているだろうが。あんた方が病気にしてあんた方が自殺させた。なぜわからない。なぜそんなことができる。死因を書いてみろ。言えないんだろうが。どうして自殺したのかもどうせわからないのだろう。それとも後ろめたさからあんな風に「可愛い娘が逝ってしまった」ばかりの手紙になったのだろうか。どこにも自分達の何らかの反省のような言葉はなかった。お嬢さんはあなた方を滅茶苦茶恨んで死んだんです。自分を奴隷なんだと言って怒って、気力も何もなくして死んだんです。離婚しても姓を戻しませんでした。カトリックでは自殺をただ禁ずるばかりだからと言って日本聖公会に入りました。救われたかったけどやっぱり死しか選べなかったんです、そこに安寧があるかもわからないけどこの世にいるほうが辛くて耐えられなかったんです。彼女は色んなものと戦っていたんです。ちゃんと生きようともして現実的な構想もしていた。バカな悪意の人間とも戦った。彼女は間違いもおかしたけど、それだからクリスチャンになった。そういうのわかろうとしたのですか。彼女のことどれほど多くの人たちが慕ったり一緒に生きようともがいたり、死後、彼女のために怒ったりしたか、それらがどこに起因することか、想像できますか、しようとしましたか、私のように何もわかっていなかったことや全然力になれなかったことなどで苦しみましたか。

 

私は35歳、彼女は40歳だった。いや私の年齢合わないな、34歳か。彼女は確実に40歳だったけど。亡くなった時、彼女は40歳だった。去年私がやたら自分の年齢にこだわってしょうがなかったのはこのせいだ。彼女と同じ年齢になる。このままでいいわけがない。6年経つのに全部止まったままだ。その直前、私は強姦されかけた。つまり5年経っていた。いやあの時点では4年か。そのくらい現実が遠くにあった。簡単に騙せただろう。ほとんど狂いましたわ。残ってた正気で人に相談してたけどまた放り出された。その時に向こうから手を貸そうか、と言って来たのが、来未、きみだ。私とちょっと前に会ってみた時に、私には何もおかしいことはないように見えたと言った。私がおかしくないってわかんなかったけどね、きみは私がただ現実じゃなくて自分の頭ン中だけを基準に世界を見ちゃってる、それだけで、そこをどうにかすること、って言った。私は会った時自分のことは何も話してないし、それまでどっかにも書いたりしてない。やり取りしてからきみが本当に何か知ってるわけでもないことは確認したし、きみは私の話を聞いたりしなかった。会った時、きみはいきなり自分のこと話し出したけどあれは何だったんだ。嬉しかったけど 、きみ、Twitterであんな話書いてなかったから。私が見てなかったんだろうか?でもきみあの時、こんな話書けないよ、って言った。思い切り書いてんじゃんか今。ブログで過去に全部書いたって後で言ったし。とにかくきみがどういう人か全然わかんなかったんで聞いて驚くと同時にいくつも意味があった。

書けないよ、って話をしてくれたこと。

何か納得がいったこと。端的に言うとそれだけ苦労してりゃフツーとなんか違うと。

……私とあまり、酷さのかわらない印象の境遇で育った人だということ。そういう人となかなか遭遇しないもので。そういう人がまともな状態ってのもないから。

 

立ち直るもへったくれもない時間になってる……。

 

寝なきゃ……。苦しいけど、寝なきゃ。

何より自分が大事 2017/02/07 3:30-4:29

体調が悪くて悪くて悪くて悪くて悪くて困っていた。

 

友人宅に泊めてもらっているが喋れなくなるほどの頭痛や吐き気、耳鳴りなど、自宅で居た時と同じ症状が強く出ていて、考えたり行動したりするどころではない。

 

が、理由がわかった。寝不足だ。

外を必死になって歩くことがあるわけだが、何だか歩いていたら凄まじく眠気を感じたという、何だそれは、と言いたくなることからわかったのだ。

 

去年1年は本当に無茶して負担だったが、とにかく眠れずまた寝なかった。平均したら1日2時間くらいしか寝なかったのではないだろうか。

 

具合が悪いのは当たり前だが、閉じ込もって全然動かなければこれでも死んだりしないのだな、と思った。倒れているのは既に倒れた状態だからわからなかった。

 

さらにそこまで気づいたタイミング辺りでSNSでアメリカ住まいの日米ミックスの友人が記事を更新して、通知があったのですぐに読んだ。ずっと続けたバレエをやめること、やりたいことが2つできたことが骨子だったのだが、何かそれを読んだらハッとなった。

 

頭でゴチャゴチャと考え過ぎていて、私の脳はマニュアルみたいなものでパンパンだったが、それは人に言われたことだった。来未にせよ最近話すことが多い香港の友人にせよ他の誰にせよ、何も私を苦しめるために助言したのでもなく、私をコントロールして言うことを聞かせたいのでもない。私にとっては今も人間とはそういう存在としか感じないものは感じないのだということ、無理矢理人に好かれるとか嫌われないようにとか見捨てられないようにとか、そういう基準でしか今も生きていないがそれは無理に決まっていること、なら私が今できる最低限のことは自分にダメ出しだけは絶対しないことだと気づいた。

 

辛いものは辛いと、怖いものは怖いと、感じるものは感じるのだから認めよう。自分だけでも私の味方であって、自分が感じることまで否定しない。だってそう感じるようになったのは私が悪いのではないからだ。そもそも良いとか悪いとかそんなものはないのだ。そう感じるのは良いとか悪いとか言ってたら苦しいだけで、どうにかすることへ向かって行けない。

 

今のところ私はもうどう言い繕ったって人間が怖いのだ。じゃあどうすればラクに、マシになるだろうか。こういう流れ。否定する必要はどこにも入らなくなる。怖くて当然のことをされまくっているのに平気なフリをしても自分が辛いだけじゃないか。

 

誰かを喜ばすのは結果であって目的じゃない。好きなことできない、思いつけない、そりゃ当然だった。もし、例えば来未にどうしても喜んで欲しかったら、来未のことを気にして考えたり行動したりしないことだ。大事なのは自分(来未)とやり取りすることではなく、私(NIKITA)が少しでも楽しく生きるためにやり取りしてるんですと彼ははっきり言った。ずっと覚えているのだがやっと意味がわかったと言えるかも知れない。

怒り 2017/02/06 13:17-14:54

今さっきまでTwitterで怒っていた。

尋常な怒り方ではなくて、ちょっと大丈夫か、という感じ。

 

奨学金のやり方がどうも変わるようである。そこさえ確認していない。

私を怒らせたきっかけは新聞の投書で、それもあまりちゃんと読んでいない。

ただ、御年67歳のご老人が書いたのは「自分の頃は学費くらい自分で捻出した。アルバイトはいい勉強にもなった。食うに困るほどの状況なら給付もわかるがどうも気概が足りないのでは」という内容だった。画像はあるが見てもしまた激昂し直してはちょっと困るからひとまず先へ。

 

最初に私が言ったことは普通のことだったようだ。大学は勉強するところで、社会勉強は社会ですればいい。働いていては勉強する時間が取れないし食うに困らなきゃもらえないような奨学金とは奨学金ではない。こんな投書を載せる新聞はおかしい、そんな内容だった。そこそこRTなどされた。まあ今書き出しても普通のことだと思う。

 

私はそのまま続けて自分個人の話をし出したのだ。忘れていた高校から大学をやめさせられた経緯を。

最初にしたツイート自体本心から言ったが、それを呼び水に自分の過去のことに対する怒りにずれたのである。

 

10年から20年ほど昔の話だ。忘れていた過去の記憶を急にはっきり思い出したものと閉じて感じないようにしていたが鮮烈に感じるようになった感情がかみ合ったと言えば良いだろうか。

 

私にとって大学は自分の意志で何事かを決めて動き、納得いく結果を得た象徴である。学歴とかそんな問題ではない。

 

極めて個人的なことだから公共性の高い話と混ぜたり連続でつぶやくのは通常の基準からはずれた行動であったが、それ自体よりも、怒りとツイートが止まらなかったことが私には困った。少なくとも1時間は超えていたがもっと長かったかと思う。そしてずっと泣き続けていた。

 

感情がまるでコントロールできないのだ。記憶も昨日のことのように思い出された。つまり、過去のことではなく今のこととして味わい直したのだろう。

 

これはこのままでは困る。苦しいし止めることもできない。行動の基準からしたら狂っているし、生活するのにこれでは他の用があるのに邪魔だ。

 

ではどうしたものか。

もらった助言を思い出すと、怒りとは最も扱いにくい感情だが、代わりになる感情はない。ある意味では自分を最も強くするものであり、決して粗末にせず丁寧に向き合え、と言われた。

そして、私を過去酷く苦しめた人間達がいる。私はその者達をどうしたいのか、その最高点を把握しておくことが大事だという話をされた。例えば殺したい気持ちであれば、その考えを自分で認めること。その最高点というのは通常は実行不可能であることがほとんどなので、最高点から現実性のあることへ考えて行く。――これは怒りの感情について話した時にしたことではないのだが、自分を苦しめた人間を殺してやりたいのに怒りがないなんてこともありえないだろうから、一緒に、セットにして向き合う、考えるものだろう。

 

実はこの最高点というのがまるでつかめずにいた。感情的なことだろう。だが、いずれにしても私は怒ることにどうも強力なブレーキみたいなものがかかっていることを自覚していた。が、考えることで「最高点」は出まい。考えることを先にはできないのだとはなんだかわかるのに、怒れない。

 

記憶とか感情とかが鮮明ではなかったのではないかと思う。ちょっと前までのことしか覚えていないし、はっきりした感情とか感覚とかいったものはとにかく感じないようにしてきた。

 

「してはいけない」か「しなきゃいけない」かしかないからだ。行動も心情もだ。つまり私には意思なんかあってはいけないということになる。

 

こいつは邪魔だ。一番の要を塞いでいるんじゃないか。

 

やるべきこともわかっている、本当はできるということも知っている。すべては意思と選択であって、問題だ変えられないと思い込んでいるのはただの「脳の癖、考え方の習性」。悩んで苦しむのはやらないだけだ、ということ。

 

暗記してしまったよ。呼ばれてしまったしいい加減時間を取り過ぎだ。また来る。